つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月7日日曜日

晴れている。
朝食後1時間本を読む。生理痛がある。ベッドにうつぶせになる。母が出掛ける。「15分くらいしたら洗濯物を干しておいて」干す
1時間ノートを書く。書きながら揺れつづける。自分にたいして「わたしにはできない」と言えない。
もしもわたし自身が他人で、しかも南条あやだったならば、どう声をかけるか。

「もう父のことはあきらめて、デイケアに通い、地べたを這いずり回って生きなさい。その人生であなたはちっとも楽しくなく、苦しいばかりで、他人からは粗末に扱われ、自分のことも最高に嫌いになるだろう。それでも這いずり回って、泥臭く、情けなく、だれにも愛されない、見向きもされない、死んでほしいと願われさえする、他人にも自分にも一切の善い価値の見いだせない最悪の人生を、生きなさい。あなたの生命に精神に肉体に応える、生きることの優しい理由はない。なんならば、これまで生きてきた罰として」

呪文
穂村弘になる(毎日会社に行く)
・ミラクルクエッション(接客系アルバイトをして満足をする、笑う)
・ジュピターの飼い主(無言系アルバイトまたは事務をして、知る)
・わたしは…

夕方、「10年後の自分がタイムスリップしたのがいまの自分だ」ということを考える。すると、身体がうんとやわらいだ。本来は、後悔をやり直す(生き直す)意味の言葉だが、わたしには、後悔でいっぱいの10年後は存在しない。それはありえないからだ。10年後はないからだ。生命がないからだ。だから、タイムスリップを考えるということは、後悔でいっぱいの未来の自分を考えることとではない。反対に、ミラクルクエッションを達成して生き延びたわたしが10年後にいる、ということなのだ。勇気がわいてきた。死に絶えることもなく、いまのままでもなく、成長して、失敗や後悔も抱えて、それでも顔をあげて、わたしはこれからの10年を生きた。死ななければならないことも越えて、生き延びた。しかもミラクルクエ
ッションを達成して、過去の(いまの)わたしにタイムスリップしている。わたしなりに満ち足りたわたしが、わたしを未来に導いていく。

つよく、おもった。生きよう。