つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月27日火曜日

寒い朝。夢を見続ける。

昨夜はやや頭が休まろうとする。ほかのことを考える。

心臓がずしん、痛む。

朝靄の中。

猫いない。

はぴいない。

はぴおはよう、朝だよ。

この前しんどかったとき、はぴみたいだな、とおもったよ。雨の日のはぴみたい…。

今朝はなぜかなにか怖い。怖いかんじがある。窓の鍵がかかっていなかった。怖いかんじがある。どれもこれもわたしの責任でわたしの罪だった。

腰が痛い。

他人の話ほどに現実は単純ではない。別の道を選んでいたら、という考えはなくなるものではないだろう。いつであっても、どこであっても、可能性は複雑に絡み合っている。潰れるか、回復するか、横這いのままか、それは道に属する結果ではない。そのひとや、時や、関係によって、紡ぎ出されていくものだ。

人間のすくなさにとまどうことがある。いざとなったら自転車に乗って飛んで帰れるように、自転車を押して歩くこと。そのことを、他人に知られてしまう恥ずかしさ。ばかなことをしているというおもい。消えない不安。はじめから自転車には乗らないこと。なぜならば歩くことに取り組みたいから。大きな補助輪を転がして、悲しみの中を歩いていくこと。

わたしは、自分が間違っている気がして、いますぐ直して、完璧な、正しい生き方をしたい。けれど、よく見てみれば、すばらしくはなくても、わたしはなにもしていないわけではない。すこしかもしれないけれど、取り組んでいる。自分に対して自信過剰な気持ちと、仲直りして、そうしなきゃ生きられないからそうしなきゃいけない、という気持ちとわかりあって、でもね、だいじょうぶだよ、あなたはよくやっているから、だいじょうぶ、すこしだけ、そこで休んでいてくれるかな、そのあいだに、わたしがちょっと見てみるから、どんなふうにできているか見てみるから、見ないで、ぜんぜんできてないの、わかってるよ、でもすこし待って、わたしが見てみたいの。

のびのびとノートが書けたときのよろこび。綺麗な字ではない、斜めにして、ペン先もつぶれて、字の中には色が詰まっている。わたしがこれを書いたということ。こんなふうに書くこともできたということ。

雨降りの中を猫がたたずむ。しっぽが上を向いている。

怖い気持ちが今日は多くある。怯えている。

ひとつぶでも多くのひまわりの種を。冬に備えよ。

これはエッセイでも日記でもない。だからよかった。だれに言い訳をすることも、誤解を免れるように予防線を張ることも、ない。断片的で、ほんの1部だけの、言葉。他人が読むものならば、こんなふうには言葉を選べなかっただろう。

肌寒いこと。自転車。すこし頭が疲れたようだ。
一昨日の夜は頭痛がした、頭がとても重くなって、芯がなくなったようだった。

フロムを読むこと。

すずめは来なくなってしまった。この場所が恐ろしい場所になってしまったのだろう。トラウマをめぐる、すずめたち。

秋の穂はすでに刈り取られて、いまは2番米が青い葉を伸ばしている。短い、秋の束が、点点と、並んでいる。

すずめ。

からす。

目白は1度来て、それからは見ない。

窓を閉める。
窓を開ける。
人間の足音。
わたしは無害なものになりたい。

今度通う職場では、ものを言わずに、たまにうなずいたり、さらにたまに話すだけの、わたほこりみたいな、ふわふわしたものでありたい。わたしが存在しないくらい、わたしはわたしらしくあろう。

人間の声。

人間はみな殺す。わたしは殺される。人間はみな潜む。わたしは倒される。ぱたん。

雨になりたい。

だれもいないひろい自然の中でたったひとりでいること。すこしまえに、夢見たこと。
歩いて、呼吸をして、すこし、話をしてもいい。
たったひとりで。

ヤマガラや。

ここ1週間くらいのうちに、日に1枚くらいずつ、葉が枯れていく。枯れた葉はちぎって捨てる。

鳥になりたいだろうか。わからない。夢の中では何度も何度も、飛び、落下した。なぜあの感覚を知っているのだろうか。わたしは1度も鳥ではなかった。
落下する。とても高くから。空気を裂いていくかたはし空気がわたしを包むし、わたしも空気を包んだ。
頭頂部から線路に落ちたこともある。
飛ぶときは低い。ほんの1メートルかそれくらいの高さを飛んでいく。飛ぶことは意思でできる。集中するのだ、本気で、全力で。わたしはその感覚を知っている。意思の力で生きること。現実をねじ曲げ、自分をねじ曲げる、意思の力で。そうしなければ生きてはいかれなかった。

恐怖。

恐怖。

やまがらのように飛びたい。びゅん、滑空、びゅん、滑空。
高い声。

ぬいぐるみを欲している。はじめは蛙だった。長く伸びた手足にビーズが詰まっていて、抱くと、重心が4つ、ぶらぶら、揺れる。たまらないかんじがある。安心するかんじがある。
抱き締められるぬいぐるみをひとつ、欲しい。抱き締める。
それからちいさなぬいぐるみをひとつ、欲しい。鞄かポーチかどこかにつけて、不安なときに触れるように。
意外なかんじがある、自分に対して。ぬいぐるみを欲しがって、ぬいぐるみに触れればやすらぐ気がしている自分を、これまでは知らなかった。わたしはそんなふうだとはおもっていなかった。しかし、そんなふうだったのだ。とても不安で、たまらなかったのだ。

自分に、「鶴を折ることを許そう」かと考えたりもする。鶴は狂うように折ってしまう。狂っているのかもしれない。学生の頃、端的に言って「死にそう」で、わたしは狂うほど鶴を折っていた。狂うという言葉をわたしはいま簡単に使ってはいない。学生鞄の中はいろとりどりの鶴でいっばいだった。折って、折って、鞄の中はいっぱいになって、どうすればいいかはわからず、鞄の中にはいらなくなると、机の引き出しに詰め替えた。それからまた折った。
頭がすうーっとしたのかもしれない。
わたしは自分を切り裂くとき、罰のつもりだったが、頭を鎮めようともしていたのかもしれない。背負いきれない罪があった。

鶴はたぶん折らないほうがいい。ほかのことをしよう。
なにか、ほかのこと。

本を読むとか。

字が読めなくなることが怖い。怖くて考えていない。しかし読めなくなるだろう、考えなければならない。

泳ぐこと。現実の中を泳ぐこと。

小学生のとき授業で溺れて、だれにも気づかれず、わたしはがたがた震えて、うまれてはじめて教師という神さまの言いつけをやぶり、みながもう1度泳ぐなかに、入らなかった。わたしひとり陸に残っていた。それについてもだれもなにも言わなかった。気づかなかったのだろう。
水とはなんだろうか。溺れるまえから、わたしは寒さと水圧で、心臓が異様になることに戸惑っていた。身体はひっきりなしに震えた。まわりの子はそのうち慣れたり、寒いと言いながらも、うれしそうに自由時間を使った。わたしは心臓がねじれて、つぶれて、いまにも死にそうであったから、たのしかったことはない。恐怖と戸惑いしかなかった。

先生は神さま。だってパパは神さまだから。

へんなの。先生が怒ったから、先生が声をあげて、先生が机を蹴り飛ばしたから、生徒を廊下に立たせたからって、だからって、へんなの、それをほかの先生に言いつけるなんて、へんなの、みんなへんなの。わたしそんなことしないよ、みんななんでそんなことするの。
先生は神さまなのに。
ひとりひとりの先生は神さまなのに。
わたしたちは神の子なんだよ。

わたしが教師に歯向かったのは、3度。
遅刻したわたしたちを教師が教室の前に立たせて、理由を詰問したとき。ほかのみなを待たせたことについて叱責されたことに、血が上った。
この中に犯人がいる、犯人自身が告白するか、ほかのものが密告するかするまで学級の全員を家に返さない、と言われたとき。この中に犯人がいる、と決めつけられていることにぶちきれた。自分の身体を傷つけながら、「なんで? なんで?」と背後に立つ教師に問うた。それは監督させられているだけの教師で、わたしがどうやら内心でぶちきれていること、この状況は不条理じみていること、に気づいていて、わたしをなだめようとした。その教師は非常に論理的なひとだったから、あの1件は先生にとっても、楽な仕事ではなかっただろう。
最後は、模試で合格点数すれすれだったわたしを補習のリストからはずした教師に対して、ついに完全に逆上した。わたしは授業を無視し、「自分はぶち切れている、あの教師をゆるすつもりはないし、かの教師を嫌悪してやまない」と公言し、自分で問題集を買い、それをやりこみ、授業を無視したまま、資格に合格してみせることで、復讐を果たした。まわりのみなは、わたしがなぜそこまでキレているのか理解しかねただろうし、そもそもがキレるタイプではないわたしが本気出して(!)、教師を見下しきっている様子に驚いていた。驚かれて、わたしは鼻高々だった。
こうして振り返ってみると、わたしも、すこしずつ成長しているようだ。はじめは「おかしい」と考えられて、つぎには自分を傷つける形ではあるが行動化し、最後には復讐を遂げている。
神の子が、神に勝った。自由を獲得した。
のなかあ。

3番目の教師とは和解した。1方的にキレていただけだったし、その教師は群をだんとつで抜いて他人については鈍感な性格だったから、ある日、ふたりきりのエレベーターの中で、和解となった。教師が、「友だちが亡くなったそうね」と悲しそうな声で言った。「自殺でした」とわたしは答えて、それ以来、仲直り。

つぶれてしまいそう。
怖くて、怖くて、怖い。

じっとしている身体がここにあるままで引き裂かれていく。