つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月13日火曜日

夢を見る。ひとつは、母と父と役所にいる。本棚を見ている。老人がこちらを見ている。わたしは1冊をもって、両親について部屋を出る。スロープを歩きながら、鞄に入れている書類のことを思い出す。母に言ってみると、さっそく受付に向かうことになる。受付には何人もの男がいる。そのうちのひとり、無表情だがしっかりした男が、場所を教えてくれる。わたしたちはそちらへ向かうが、すぐにべつの、へらへらと笑う男が、立ち塞がり、「ちがう、あちらだ」と情報を訂正する。わたしはすこし、はじめの無表情な男を気の毒におもう。目の前で、こんなふうに大声で大きな身ぶりで、訂正されてしまって。両親と言われた場所へ向かう。閉館時間間際である。わたしは書類を取り出す。すると、まだなにも記入していなかった
ことが判明する。どきどきしながら、母に書類をちらちら見せながら、「やっぱり今日じゃなくてもいい」と言う。しかし母はぐんぐん歩いていく。「書き方は教えてもらえばいい」父と母がときおり話し合いながら前を歩いていく。わたしはついていきながら、やはり不安になり、「まだ出さなくてもいい、もうすこしあとでもいい」と言うが、聞き入れられない。ふたりは時間内に部署にたどり着くことに集中している。わたしはとても不安になる。まだ働きはじめてもいないのに、この書類を出してしまうのは早すぎる。もしかするとすぐに働くことをやめてしまうかもしれない。書類を出していなければ、すぐにやめても難しくないが、出してしまったら、また出さなければならなくなる。書類なしの空白期間が生まれてしまう。
だが、書類のことを言い出したのは自分である。あんなふうに、とっさに言わなければよかった。慌てることはなかったのだ。後悔するが、どうしようもない。
つぎつぎと夢を見る。不安なのだろう。今日からお盆だ。
はぴが死んでしまって、なにかが変わったのかもしれない。みな死んでしまう、という焦りがある。何十年先まで考えなければならないのか。それとも、現実はなにひとつ変わらずに、わたしだけが1年後にぽつりと死ぬ、と想定すればいいのか。わたしは子どものころから、家族を養うことだけを考えてきた。その世界観は単純だった。働く。お金を稼ぐ。家族の役に立つ。家族を支える。看取る。ひとり残される。しかし、現実はどうか。両親よりもへろへろのわたし。まったくの無職なわたし。出掛けることも簡単ではないわたし。そこそこ元気な両親。逆転している。現実がまっ逆さまだ。やればできる、やるべきことをわたしはできる、とおもっていたから、昔は心配しなかった。乗り物の運転も、家事も、親の介護も、通院介
助も、なんでも、やるべきことはできる。
いまわたしは、未来をどんなふうに考えたらいいのかわからない。両親はいつまでも元気だと考えればいいのか。すぐにでも死んでしまうかもしれないと考えればいいのか。わたしは曖昧には生きられない。
わたしは生きるのか。

現実は単純ではない。要素があって、原因があって…わたしはそれを知らなかったから、なにをしても、なにが起きても、自分のまちがいだった。わたしが選びまちがったから、考えまちがえたからだ、天罰だ、ふさわしいだけの罰を受けている
現実は単純ではない。そのことを捉えること。
そうでなければ、身動きがとれない。

意外にも、わたしは食べ物を残せない。

むずかしく、考えないこと。

感謝してもしても足りないどうしたらいい。

あたりまえみたいに生きたいね。
あたりまえみたいに生きたい。

わたしが、「生きる」って言ったら、どうなってしまうのだろう。「許さない、認めない」と言われたら、わたしはどんな顔をするのか。

はぴは帰ってきているだろうか。お盆だから。お姉さんポメラニアンといっしょに、帰ってきているよね?
わたしは幽霊を信じない。神さまも信じない。それなのに、伊藤計画や笹井宏之については、天国があって、彼らが天国にいると、彼らの大切なひと、彼らが大切なひとが、信じられたらいい、とおもってきた。彼らにだけは特別に、しっかりと、好きな形の信仰があっていい、そうではないか。
はぴのことを考えるとき、わたしはすこし、おかしかかんじになる。幽霊も神さまも知らないはずなのに、はぴを見つけたがっている。泣いたりする。毎晩お墓に行って、「はぴ」、声をかけている。おやすみ、はぴ。おやすみ。
今朝は顔を洗いながら、「今日はお盆だから、はぴはもう帰ってきているよね」とおもった。わたしの足元にはぴの背中があるみたい。まだ朝早くて、はぴも、みんなとおなじ、まだ眠たくて、ゆっくり歩いている。

もしかしたら疲れて母はメイクをしないかもしれない。母がしないのに、わたしがするって、何様なのか!

ぽつぽつ。
わたしにもできることはあるかもしれない。あるとおもう。人生はなにもかも手に入れる場所ではない。ふつうのひと。ふつうのひと。わたしはわからない。

ひとり暮らしをすると必要な予算分をないものとして貯金をして、わたしにできることをできること。ほかのひとにはできなくても、わたしにできること。
なにかをあきらめなさい。欲張りすぎている。

わたしにできること。
・仏壇のお掃除
・お墓参りの道案内
・たぶんすこしの家事
・たぶんすこしのお手伝い