つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月12日月曜日

昨夜は寝つけない。深呼吸をする。数日間、深呼吸をしていなかった。悪夢を見つづける。

朝は涼しくなってきた。

頭の上に落ちてくるかもしれないピアノの下で暮らすこと。生きるということ。

昨日母が、「そういえばアマゾンはどうなったのか」と訊く。一週間ほど前に、わたしが注文していいか訊いていた。頼んでいないと答えると、母は複雑な表情をした。うんざりしたような、あきらめたような、疲れたような、悲しいような表情をした。わたしが回避していることに気づいているのかもしれない。わたしが怯えていることに疲れたのかもしない。
本を買わないことは、よい節約を意味するばかりではない。人生を回避すること、時間を無視すること、逃げること、向き合わないこと、見ないこと、知らないこと、生きないこと、そんなことを意味もする。とくにわたしの場合はそうだ。本をアマゾンで買うということは、取り返しのつかないこと。わたしはそれが怖くて、注文できなかった。

早めに自殺してほしい、あたりさわりなく暮らしてほしい、それは当然の願いだろう。
わたしのふとしたひと言で、「え、あんた自殺してくれるんじゃなかったの? 生きてしまうつもりなの?」とおもわれるのではないか。
・自殺する
・すこし働きながら実家で暮らして、両親がいなくなったらあとは、はじめてひとり暮らしをするか、自殺をする
・すこし働きながらひとり暮らしをして、両親が元気なうちに、ひとりで生きることを学んでおく

白猫がいっぴき、左を向いて歩いていく。白猫がもういっぴき、左を向いて歩いていく。

生きたいものだから、わたしはずっと、生きたかったものだから、どのように考えればいいのかわからない。
昨夜は結婚について考える。どんなにすばらしい結婚だとしても(そんなことありえるのか?)、結婚という変化に、行事に、気圧に、わたしも、わたしの家族も、うまく耐えられないだろう。ましてや、すばらしくなどない苦しまぎれの結婚や、想定しているよりも破綻が激しい結婚などとなれば、死人が出る。いくらなんでも、いまさらわたしの結婚事情で、両親をへとへとにさせるなんて、ひどすぎる。もうこれ以上へとへとにするなんて!
両親も、穀潰しのわたしが結婚していなくなれば喜ぶだろう。しかし、現実はそうなめらかに進みはしない。希望はだれでもいくらでももつが、現実に叶うにはそうとうの体力がひつようとされる。
1年くらい前か、結婚指輪を買いたいと考えていた。つまり、他人の男性と生涯結婚しないことを誓い、わたしがわたしと結婚するための指輪だ。安いものでいい。そのへんのおもちゃでいい。それを買って、わたしはわたしと誓いあいたかった。

生きることも怖ければ、見捨てられることも怖い、働くことも怖い、息をすることも怖い、わたしであることも怖い、食べることも、歩くことも、見ることも、聞くことも、怖い。
怖くない人生はない。受容するしかない。

わたしのミラクルクエッション…

音がする。

テキストをひらいているところをぜったいに家族に見られたくないのはなぜだろう。ひっしになって隠してしまう。昨日も、部屋にきてくれた母から、それはもうひっしになって隠した。へんなの。怖いのだろう。

あたらしいスリッパに馴染んできた。

白猫がいない。

できるべきこと、するべきこと。

努力すれば死なずにすむと考えるとき、なにかが歪んでいる。努力すれば病気にならず、努力すれば失業せず、努力すれば愛されて愛することができる、努力すれば…死なずにすむ。永遠に、殺されない。

働いてもいないのにこんなに身体がぎりぎりで、どうすればよいのだろう。努力してふつうのひとに…

ふつうの人間になりたい。
働けて、暮らせて、眠れて、食べることができて…

日にいちどは必ず倒れる三角の物干し竿を父が作ってから、顔を拭くタオルも、肌布団も、地面に落ちている。

昨日の夜くらいから、今日は、なんとかやっていけるかな、難しく考えないで、ふつうにすることとして、ふつうにやれるかな、とおもう。

命がけで生きている。
意味だけを生きている。価値だけを生きている。
わたしは考えすぎた、考えなさすぎた。
ひとは、自分にないものを求める、自分に不向きなことをする、苦しみだけが当然だとかんじる。
わからない。他人はどんなふうに生きているのだろう。どうして自分を守れるのだろう。なぜ笑えるのだろう。

わたしは、他人のようにはなれなくてもいい。趣味はなくていいし、人生の中で楽しいことや、嬉しいことや、幸せなことは、…なくていいわけじゃないけれど、たくさんじゃなくていい。好きな音楽を聴けなくてもいいし、外食に繰り出さなくていい、おしゃれな、お気に入りの服を手に入れられなくていい、家具はちぐはぐでいい、テレビを見られなくても、ネットを見られなくても、海を見に行けなくても、お菓子を作れなくてもいい、ペットと暮らせなくていい、映画を観に行けなくていい、旅行に行けなくていい、習い事も、ジムもしない、友だちも恋人もない、大学に通えなくていい…。
だけど、わたしが望む生命も、奇跡だ。

身体の力を抜きたい。思考を止めたい。

板挟みになっている。だれもが自分の思考の板挟みになり、他人の思考の板挟みになる。パーセンテージだから。ひとは、固形物ではない。

わたしが望むものも、望んではならないほどのものだとわかっている。

すこし頭がよくない。

地面に落ちたタオルケットをじっと見ていたら、母が洗い直してくれることになった。気持ちが苦しい。

田舎に移住をして無農薬野菜を作っているひとをテレビ画面に見て、父が、「エリート」と言う。いままで気づかなかったが、父には強烈なエリートコンプレックスがあるのだろう。自分もエリートになり、大金を稼ぎ、金の心配などせずに、やりたいことをやって、楽しく生きることもできたはずなのに、自分以外のもののせいでそれが叶わなかったのだ。
金がない、金がない、明日にも食うに困る。そう、聞きつづけて、成長してきた。恐怖と、不安と、努力のひつよう。

わたしがもしも違っていれば、父を反駁するように、貧乏で、金もものも持たずに、それでも心や暮らすの幸せを見いだしていたのかもしれない。

もう心配したり、考えたりしても、しかたがない。将来は決まったとおもって、最後の自由時間だと割りきって、安心して生きないか
なにかをするから、しないから、生存を許される、と考えることはやめよう。じっとしていれば金がかからないとかんじるのは、ただの遺伝と学習だ。現実はちがう。

蝉がないている。

母が、「飲んでみようよ」と言ってくれたおかげで、セブンイレブンのカフェラテが安全に飲めるようになった。安全に飲むことができるものがあること。
他人から見れば、おそろしく低速な人生だろう。それでも、わたしは変わっている。これからも変わるだろう。自分の力ひとつで成し遂げたことなどひとつもない。周りに支えられてここまでこられた

なんだか気分がよくない。とおもっていたら、今日はとても暑いのだった。

深爪をやめて、2週間に1度爪を切るようにする。明日が爪を切る日だ。伸びた爪は違和感がある。生きているかんじがする。自分の身体の変化を自分の目で見る。

生きることは、「頭の上に落ちてくるピアノの下で暮らすこと」なのだと昨夜気づいて、精神的衝撃を受ける。そうか。生きるって、そういうことか。

なにひとつ変われていない気がしていたが、朝ごはんをまえよりも食べられるようになった。
夜も、あきらめずに眠るようになった。

なんだかしんどい。なにか食べるか、と訊くと、「歯を磨かなきゃならなくなる」と答えられる。
想像するだけならば、好きな食器を使えるとか、喪服を買えるとか、野花を牛乳瓶に生けて、かびだらけのマットレスはやめて、毎朝白湯を飲める。現実にはどうか。自分のために食事を作る、などということができるのだろうか。自分が、自分ひとりが圧倒的に生きて、存在している空間で、わたしはどのように呼吸ができるというのだろう。わたしはわたしに殺されはしないか。

ふつうのひとのふりをするのだ。ふつうに働いて、ふつうに暮らして、頭の具合がおかしくなれば、「まさかわたしが!」と驚く。
なぜ?

取り返しのつかない。
働いて、暮らして…捨てられている…そこで倒れたら、2度と、2度と、ふつうに生きるひとの現実には戻れない。
閉鎖病棟、よだれ、ケアハウス、生活保護

ふつうのひとのふりをすること。

自分の限界を越えないこと。
越えないこと?

途方もない。けれど、ふつうのふりをすること。

「ここにいていいよ、家事を手伝って、すこし働けたらいいね」

わたしは役に立たない。わたしは家族に手伝いを求められていない。迷惑をかけないことを、自殺を、穀潰しをやめることを、願われている。だがなんて幸福なことだろう。家族はわたしに我慢してくれている。
さあ、覚悟を決めよう、生きていこう。
家族に恩返しがしたい。

居間にいたい。家族とすごしたい。だけどそれは許されない。ここは父の場だ。父のもの。父だけが専有する。母を自分だけのものにする時間が、はじまり、これから終りまでつづく。

「わたしの考え方はまちがっている」とおもう。おもいながら、歩く。満ちていく月が今日もまぶしく光っている。赤ん坊が、父親に抱かれて、足がぶらぶら揺れている。父親とわたしは、視線を交互に交わす。「こんばんは」
まちがっている。ここで生きるのだ。できることはあるだろう。運転とか、できるようになれば、よい。家族の役にたつことも、あるかもしれない。生きているあいだに心配と費用をかけないように、努めるのだ。
そうだ、そうするべきだ、とおもい、それからふと想像する。父とふたりで暮らすことになったらどうなるか。
命が100あっても足りない。わたしは母の代わりにはなれない。それとも、切羽つまればなれるか。
介護や手伝いは想像してきたが、元気いっぱいな父と(そして弟と姉と)暮らすという事態は、想像……
両親はいまは元気だが、ずっと元気なわけではないかもしれない。もちろんわたしのほうが元気がなくなることもあるけれど。近所のおばあさん(わたしに子宮頸がんワクチンをすすめてくれて、とてもうれしかった。一人前の人間扱いされたみたいで)は、おじいさんが死んだあとも、ひとりで暮らしている。娘が一時期同居したが、うまくいかなかった。
病気の両親を介護すること。残された元気な家族と暮らすこと。
わたしは、もしもひとり暮らしをできたとしても、だから家族と離ればなれになって、他人になるのは想像していない。家族がわたしを大嫌いになってしまったら、仕方がないけれど、そうでないならば、近くで暮らしたいし、支えたいし、支えられたい。わたしがひとり暮らしのことを考えたりするのは、両親が元気なうちに甘えたいからだ。ひとり暮らしをアドバイスしてもらったり、支えてもらったり、たまには逃げ帰らせてもらいたいからだ。両親がいなくなってから、うまれてはじめてひとり暮らしをすることになりたくはなくて。
へんなかんじ。
わたしは、歩きながら、考えながら、強くなりたいとおもう。ひとりで暮らす強さも、家族の役にたつ強さも、ほしがっている。
ほしがりすぎだろうか。
いつか、母に訊いてみたい。「わたしはひとり暮らしをするべきかな。それとも、そうしないほうがいいかな」
訊きたい。仕事に通って。

わからない。わからない。

わたしは、父が言うように、努力が足りなかったのだろうか。