つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月28日水曜日

夜1度目が覚める。弟がとてもすてきなもなかを選び、店員さんが商品を詰める袋は小さくてお寿司が傾くけれど、わたしは、「すぐだからだいじょうぶです」と言う。弟とふたりでうれしい気持ち。早く、駐車場で待つ両親のところへ走って帰りたい。ひとつめの夢。
ふたつめの夢では、わたしが車のキーを持っていて、ボタンが4つあり、ロックをしたり解除をしたりして、しかし振り返るとドアが2つ開いたままになっている。別の場面があり、そこではわたしは席について、封筒を持っている。中に入っている札束を数える練習をする時だ。指導をするふたりのひとがいる。そこは店内の1角で、さまざまなひとびとが出入りする。もう会わなくなった友人の姿もあり、「無事に生きてたんだ、そうだよね、生きてるよね」とおもう。そのひとがほかのひとの名前を簡単に思い出す様子を見て、すこしうしろめたいような、憎いような気持ちになる。札束は持ったまま、まだ練習がはじまらない。だんだんと、札束はメモになっていく。指導者のひとりが書き連ねた古いメモの切れはし。

昨夜は歩いてみた。28分。しんどくはなかった。ただ、怖い気持ちが多い。
怖いながらも、「すてきな事務員さんになる」と考えてみる。なにかわかりやすいものがあると、いいかな、という気がする。わかりやすいものに沿って生きること。
インスタ映え」という言葉を聞くたびに、胸がすく。他人を巻き込む承認欲求などおかまいなしに、自分の心を奮い立たせたり、満ち足りさせること。なんでもないことをよろこぶこと。ふつうのことを美しいとかんじること。日々を暮らすこと。なにのアプリも使わずにそうして大切に生きられるひともいる。アプリに支えられるひともいる。振り返る力が弱いものは、あらためて、日々を形にして、見て、自分の人生を肯定したり、投げ出さないように、しっかり、掴むことができるのかもしれない。自分だけの「インスタ映えは、小さく生きるひとの、強い感性が、バランスをとる場所なのだろう。
わたしは、怖い。

なんでもないことが怖い。

なんでもないことをよろこべるようになりたい。勉強したとか、おいしい朝ごはんを食べたとか、空が晴れたとか。わたしにとっては怖いこと、怖くてたまらなくなること、とても抱えきれないことを…

「すてきな事務員さんになる」

網戸と窓のあいだに蟻がいる。

「鳩が奥さんをつれてきた」

「石鹸がどろどろになる。石鹸をどろどろにされる」

わたしはにどと直らない。
わたしはにどとふつうのひとにはなれない。ふつうのひとのようには生きられない。

わたしはわたしの奴隷。

母が朝起きてくれなくて、朝ごはんのパンがなくて、ごはんで、心臓がばくばくする。テレビではニュース。父が大声をあげている。まただれかが父の権利を侵害したのだろう、どこかのばかものが。こうなるのならば、お弁当は作れない、夜更かしすればいい、音楽さえ聞けばいい、そんなふうになにもかもがたがをはずしていく。

たがをはずすのはわたしだ。

「障害者は自分で署名できない」と父が13回言う。朝。

時間は1時間押した。投げ出そうとしている。

なぜわたしはなにひとつゆるされなかったのだろう。服くらい着ても、髪くらい伸ばしても、友だちくらいひとりいても、半日くらい出掛けても、勉強くらいしても、散歩くらい夜闇に紛れてこそこそしなくても、よかったじゃない、それくらい、ゆるされたって、よかったのではないか。
いや、ゆるされはしない。けしてゆるされはしない。
なぜならばおまえはうまれつきの欠陥で、生涯親の穀潰しだったからだ。恩知らずのあほう児だったからだ。

自分を殴り殺すこと。
自我を消すこと。
目を覚ましてはならない。
夢見てはならない。
地獄はここにはない。

わたしが地獄そのものだ。

腕に穴を開けてその穴から現実を覗きたい。

ファンデーションの存在をすっかり忘れている。

いまにも失神しそう、身体の感覚が失われていて、残った頭がとても冷たい、いまにも失神する、そこらじゅうに吐き散らして、前からも後ろからも漏らして、倒れて、死亡する、死亡はしなくても失神する、失神はしなくても脱力して、ホワイトアウト身動きをとれなくなる、というときにも、走らねばならないのだろうか。そうなのかもしれない。

身体を動かす仕事をしていた時期は、いま振り返ってみると、体調が安定していた。精神もそこそこ落ち着いていて、字が読めなくなるまでは、本もよく読んでいた。苛々することもすくなかった。とはいえ、簡単ではなかった。なんど、「今日こそは無理だ、今日こそはいろいろなところから漏らすだろう、今日こそは、『ちょっと具合がわるくなってしまったので早退させてもらえないでしょうか』と言うしかなくなるか、言いにも行けずにそこらあたりでホワイトアウトして、前からも後ろからも…」、なんどそう考えただろう。身を固くして、できるだけ壊れないように始業を待ち、はじまれば腹を括り、しかしなかば解離して、「どうにでもなってしまえ、しらないよ…」、うつろな精神と過剰な注意とこわばりが同時にあるな
かで、歩いた。ほんとうに、なんど、そんな日があったことだろう。いまに吐いてしまう、いまに終りだ、こんどこそ終りだ、もうしらない…。1度も倒れなかったことは偶然だと考えていた。仕事が終ると…気分がよかった。もう家に帰れる、やりきった、倒れなかった、漏らしもしなかった、無事にやりすごせたんだ…
もしかすると、ああして身体を動かすことはよかったのかもしれない。精神が解離と緊張のあいだでどうにかバランスをとろうとしていたことは、ぎりぎりのことだったかもしれないが、もうすこしつづけていたら、ぎりぎりのことが、だんだんと、ぎりぎりではなくなっていったのだろうか。

失神しそうなときに走れるか。たぶん、走って、なんどか失神してみるくらいの覚悟でいいのかもしれない。

身を固くして、これ以上なにひとつ起こりませんように、そう祈ることしかできないでいた。

「そうだ、服をひとつ買ってみようかな」と思いついて、風が、ふいたようだった。そうだ、服をひとつ買うのだ、それはできるかもしれない。ひとつだけなら、できるかも。

似た身なりのひとを見かけた。

ひとつなら、できるかもしれない。ひとつなら、おかしくないかも。へんじゃないかも。ひとつだけ、服を買ってみる…
お店のホームページを見て、下見しておいて、それからお店に行って、ひとつだけ、買ってみる。
それからおかしくないかもしれない。それならできるかもしれない。

風がふきぬけていく。

すこし暑い。

8月27日火曜日

寒い朝。夢を見続ける。

昨夜はやや頭が休まろうとする。ほかのことを考える。

心臓がずしん、痛む。

朝靄の中。

猫いない。

はぴいない。

はぴおはよう、朝だよ。

この前しんどかったとき、はぴみたいだな、とおもったよ。雨の日のはぴみたい…。

今朝はなぜかなにか怖い。怖いかんじがある。窓の鍵がかかっていなかった。怖いかんじがある。どれもこれもわたしの責任でわたしの罪だった。

腰が痛い。

他人の話ほどに現実は単純ではない。別の道を選んでいたら、という考えはなくなるものではないだろう。いつであっても、どこであっても、可能性は複雑に絡み合っている。潰れるか、回復するか、横這いのままか、それは道に属する結果ではない。そのひとや、時や、関係によって、紡ぎ出されていくものだ。

人間のすくなさにとまどうことがある。いざとなったら自転車に乗って飛んで帰れるように、自転車を押して歩くこと。そのことを、他人に知られてしまう恥ずかしさ。ばかなことをしているというおもい。消えない不安。はじめから自転車には乗らないこと。なぜならば歩くことに取り組みたいから。大きな補助輪を転がして、悲しみの中を歩いていくこと。

わたしは、自分が間違っている気がして、いますぐ直して、完璧な、正しい生き方をしたい。けれど、よく見てみれば、すばらしくはなくても、わたしはなにもしていないわけではない。すこしかもしれないけれど、取り組んでいる。自分に対して自信過剰な気持ちと、仲直りして、そうしなきゃ生きられないからそうしなきゃいけない、という気持ちとわかりあって、でもね、だいじょうぶだよ、あなたはよくやっているから、だいじょうぶ、すこしだけ、そこで休んでいてくれるかな、そのあいだに、わたしがちょっと見てみるから、どんなふうにできているか見てみるから、見ないで、ぜんぜんできてないの、わかってるよ、でもすこし待って、わたしが見てみたいの。

のびのびとノートが書けたときのよろこび。綺麗な字ではない、斜めにして、ペン先もつぶれて、字の中には色が詰まっている。わたしがこれを書いたということ。こんなふうに書くこともできたということ。

雨降りの中を猫がたたずむ。しっぽが上を向いている。

怖い気持ちが今日は多くある。怯えている。

ひとつぶでも多くのひまわりの種を。冬に備えよ。

これはエッセイでも日記でもない。だからよかった。だれに言い訳をすることも、誤解を免れるように予防線を張ることも、ない。断片的で、ほんの1部だけの、言葉。他人が読むものならば、こんなふうには言葉を選べなかっただろう。

肌寒いこと。自転車。すこし頭が疲れたようだ。
一昨日の夜は頭痛がした、頭がとても重くなって、芯がなくなったようだった。

フロムを読むこと。

すずめは来なくなってしまった。この場所が恐ろしい場所になってしまったのだろう。トラウマをめぐる、すずめたち。

秋の穂はすでに刈り取られて、いまは2番米が青い葉を伸ばしている。短い、秋の束が、点点と、並んでいる。

すずめ。

からす。

目白は1度来て、それからは見ない。

窓を閉める。
窓を開ける。
人間の足音。
わたしは無害なものになりたい。

今度通う職場では、ものを言わずに、たまにうなずいたり、さらにたまに話すだけの、わたほこりみたいな、ふわふわしたものでありたい。わたしが存在しないくらい、わたしはわたしらしくあろう。

人間の声。

人間はみな殺す。わたしは殺される。人間はみな潜む。わたしは倒される。ぱたん。

雨になりたい。

だれもいないひろい自然の中でたったひとりでいること。すこしまえに、夢見たこと。
歩いて、呼吸をして、すこし、話をしてもいい。
たったひとりで。

ヤマガラや。

ここ1週間くらいのうちに、日に1枚くらいずつ、葉が枯れていく。枯れた葉はちぎって捨てる。

鳥になりたいだろうか。わからない。夢の中では何度も何度も、飛び、落下した。なぜあの感覚を知っているのだろうか。わたしは1度も鳥ではなかった。
落下する。とても高くから。空気を裂いていくかたはし空気がわたしを包むし、わたしも空気を包んだ。
頭頂部から線路に落ちたこともある。
飛ぶときは低い。ほんの1メートルかそれくらいの高さを飛んでいく。飛ぶことは意思でできる。集中するのだ、本気で、全力で。わたしはその感覚を知っている。意思の力で生きること。現実をねじ曲げ、自分をねじ曲げる、意思の力で。そうしなければ生きてはいかれなかった。

恐怖。

恐怖。

やまがらのように飛びたい。びゅん、滑空、びゅん、滑空。
高い声。

ぬいぐるみを欲している。はじめは蛙だった。長く伸びた手足にビーズが詰まっていて、抱くと、重心が4つ、ぶらぶら、揺れる。たまらないかんじがある。安心するかんじがある。
抱き締められるぬいぐるみをひとつ、欲しい。抱き締める。
それからちいさなぬいぐるみをひとつ、欲しい。鞄かポーチかどこかにつけて、不安なときに触れるように。
意外なかんじがある、自分に対して。ぬいぐるみを欲しがって、ぬいぐるみに触れればやすらぐ気がしている自分を、これまでは知らなかった。わたしはそんなふうだとはおもっていなかった。しかし、そんなふうだったのだ。とても不安で、たまらなかったのだ。

自分に、「鶴を折ることを許そう」かと考えたりもする。鶴は狂うように折ってしまう。狂っているのかもしれない。学生の頃、端的に言って「死にそう」で、わたしは狂うほど鶴を折っていた。狂うという言葉をわたしはいま簡単に使ってはいない。学生鞄の中はいろとりどりの鶴でいっばいだった。折って、折って、鞄の中はいっぱいになって、どうすればいいかはわからず、鞄の中にはいらなくなると、机の引き出しに詰め替えた。それからまた折った。
頭がすうーっとしたのかもしれない。
わたしは自分を切り裂くとき、罰のつもりだったが、頭を鎮めようともしていたのかもしれない。背負いきれない罪があった。

鶴はたぶん折らないほうがいい。ほかのことをしよう。
なにか、ほかのこと。

本を読むとか。

字が読めなくなることが怖い。怖くて考えていない。しかし読めなくなるだろう、考えなければならない。

泳ぐこと。現実の中を泳ぐこと。

小学生のとき授業で溺れて、だれにも気づかれず、わたしはがたがた震えて、うまれてはじめて教師という神さまの言いつけをやぶり、みながもう1度泳ぐなかに、入らなかった。わたしひとり陸に残っていた。それについてもだれもなにも言わなかった。気づかなかったのだろう。
水とはなんだろうか。溺れるまえから、わたしは寒さと水圧で、心臓が異様になることに戸惑っていた。身体はひっきりなしに震えた。まわりの子はそのうち慣れたり、寒いと言いながらも、うれしそうに自由時間を使った。わたしは心臓がねじれて、つぶれて、いまにも死にそうであったから、たのしかったことはない。恐怖と戸惑いしかなかった。

先生は神さま。だってパパは神さまだから。

へんなの。先生が怒ったから、先生が声をあげて、先生が机を蹴り飛ばしたから、生徒を廊下に立たせたからって、だからって、へんなの、それをほかの先生に言いつけるなんて、へんなの、みんなへんなの。わたしそんなことしないよ、みんななんでそんなことするの。
先生は神さまなのに。
ひとりひとりの先生は神さまなのに。
わたしたちは神の子なんだよ。

わたしが教師に歯向かったのは、3度。
遅刻したわたしたちを教師が教室の前に立たせて、理由を詰問したとき。ほかのみなを待たせたことについて叱責されたことに、血が上った。
この中に犯人がいる、犯人自身が告白するか、ほかのものが密告するかするまで学級の全員を家に返さない、と言われたとき。この中に犯人がいる、と決めつけられていることにぶちきれた。自分の身体を傷つけながら、「なんで? なんで?」と背後に立つ教師に問うた。それは監督させられているだけの教師で、わたしがどうやら内心でぶちきれていること、この状況は不条理じみていること、に気づいていて、わたしをなだめようとした。その教師は非常に論理的なひとだったから、あの1件は先生にとっても、楽な仕事ではなかっただろう。
最後は、模試で合格点数すれすれだったわたしを補習のリストからはずした教師に対して、ついに完全に逆上した。わたしは授業を無視し、「自分はぶち切れている、あの教師をゆるすつもりはないし、かの教師を嫌悪してやまない」と公言し、自分で問題集を買い、それをやりこみ、授業を無視したまま、資格に合格してみせることで、復讐を果たした。まわりのみなは、わたしがなぜそこまでキレているのか理解しかねただろうし、そもそもがキレるタイプではないわたしが本気出して(!)、教師を見下しきっている様子に驚いていた。驚かれて、わたしは鼻高々だった。
こうして振り返ってみると、わたしも、すこしずつ成長しているようだ。はじめは「おかしい」と考えられて、つぎには自分を傷つける形ではあるが行動化し、最後には復讐を遂げている。
神の子が、神に勝った。自由を獲得した。
のなかあ。

3番目の教師とは和解した。1方的にキレていただけだったし、その教師は群をだんとつで抜いて他人については鈍感な性格だったから、ある日、ふたりきりのエレベーターの中で、和解となった。教師が、「友だちが亡くなったそうね」と悲しそうな声で言った。「自殺でした」とわたしは答えて、それ以来、仲直り。

つぶれてしまいそう。
怖くて、怖くて、怖い。

じっとしている身体がここにあるままで引き裂かれていく。

8月26日月曜日

父の笑う声が聞こえる。努力が足りないと呆れられ笑われた。努力をすればあざけられ、高く、高く、笑われてきた。

ふたつのものに挟まれて、どっちつかずなわたしは、自分を引き裂く。

高級なこと、贅沢なことをしている気がして、つぶれそうになる。やるべきだとも、おまえにはあり余るとも、考えられる。
ひつようなことをしているだけ、とはおもえない。するべき準備をしているだけ、とはおもえない。だが、そうしているだけではないか。

夢を見続ける。ひとつの夢にははぴがいる。はぴはだれかの足の先をいっしょうけんめい引っ張っている。わたしの足でも、母の足でも、あるようなのだが、別の足のようでもある。そういう角度なのだ。わたしははぴが可愛くて笑っている。「見て、お母さん。はぴったら、なかに歯列カバーの洗浄タブレットを隠したスリッパは、もう隣に脱いであるのに、それをはぴたら忘れちゃって、まだこっちを探してるよ」はぴは楽しそうに嬉しそうに、いっしょうけんめい引っ張っている。隣には黄色い猫の柄のスリッパがひとつだけ置いてある。母はあまり返事をしなかった。
もうひとつの夢では、わたしは出勤しようとしている。肌寒い朝、出勤の途中にほかの場所に入り込む。そこを経由するひつようがあったのかもしれない。ただのふたつの部屋のようでも、クリニックのようでも、派出所でもあるような場所だ。看護師さんが数人いて、わたしを見て、「ああ、ほら、よかった。責任感のある子がきてくれた」と言う。みなとても忙しくばらばらと歩いている。ひとつめの部屋には、ふたりの人間のゆがんだ身体が横たわっている。肌は白く、霜がついていて、がりがりに痩せたほうのひとりは目を大きく見開いている。もうひとりはふくよかな腰回りが見える。死んでいた。わたしは横目で気づいて、「ひとは死んだらほんとうにこんなに冷たく固くなるのか」と驚く。わたしは出勤しなければならな
いから、忙しくするみなの間をやがて通り抜ける。そのときにもういちど凍ったふたりを見ると、早くもふたりは溶けていた。いまに、臭いが出る。
もうひとつの夢では、知らない場所にいる。学校のような作りで、そこにはベトナム人ばかりがいて、日本人はわたししかいない。ベトナムの男の子達がたくさんいて、わたしを眼差す。わたしと同じくらいの年の女の子たちは、それをにこにこ笑ってみている。わたしは男の子達に教えられることがなくてそわそわとしている。手にはあやとりの紐があり、それをなんども指に絡めてみるのだが、やり方を思い出せない。きちんと覚えてくればよかった。そうすればみなに教えられたのに。廊下に出て、トイレを探す。場面が飛び始める。教室、窓枠、窓の下。

今朝も寒い。からすの声だけが聞こえる。

昨日は極端にうまくいかなかったけれど、実際のところの問題点は、変化に対応できないこと、にひとつはあるのだろう。それが、自分が予定した変化であっても、だ。
気持ちが苦しくなると、自分を苦しめることで答えを合わせようとする。教科書に書いてあるような事態に陥るわけだ。昨日の私は、新しいお布団を出してもらえたことに感謝するよりも、自己嫌悪に陥る方が楽で、罪を償うために、自分の身を切り開こうとしていた。というところがあったとおもう。
昨日は休憩もなくなり、深呼吸もなくなり、とにかくあらゆることがばらばらに(身体の代わりに)なってしまった。
休むということの難しさを痛感する。

自分勝手に努力していると考えることをやめて、まあ、やっておいたほうがいいようなことを、ちょっと、やっているだけ、くらいに考えたい。
それから、そのことにばかり集中してしまう、しかも過集中してしまうことに、どう対応すればよいか考えておく。これからも、同じことになるからだ。

うまくいかなくても、いまならば、振り替えれる。ほかの方法を試せる。人生が与えられていることに、ゆるされていることに、感謝すること。家族に感謝すること。

考えぬからないこと。
わたしは死ぬということ。
働けることに感謝して、がんばる、けれど、全力を注がないこと。わたしの人生の意味はわたしの中にしか見出だせない。
生きることを手放さないこと。
時間ではない。わたし自身の取り組み次第だ。

ふつうの格好をしているひとをうらやましくおもうのは、モンブランに登るひとをうらやむのと同じだ。自分の意思というよりは、力がうまく働かなくて、ひとは病気になるし、山に登れないし、服も着られなくなる。父は医療反対派で、癌は精神が強ければ消える、と考えているが、そう考えられる強さもひとつの力であって、それはだれにでもあるものではない。
社会の中に入り、そこで働き、他人と挨拶をすること。それはわたしにとって、モンブランに登るようなもの。
できっこない。
だから、あきらめるのではなくて、自棄になるのでもなくて、ほどほどの妥協点を見つけよう。
うまくやることよりも、うまくやることを考えよう。

優しいひとになりたいから。

生理がはじまって驚く。

『ワン・プラス・ワン』のなかで、ケバブを食べたことをあなたは責めなかった、と感謝する場面がある。
父は、したせいだ、したからだ、自業自得だ、わかりきっている、と即座に言う。悪気はない。率直なだけだ。胸がつぶれる。
しかしそれもわたしのせいなのだった。

寝落ちする。

今日の予定のものは終了した。おつかれさま。今日はここまででいいよ。

寝落ちして、目覚めた直後に冷凍庫のひときれのアイスを食べる。なにか…ばれているようだ、わたしのなかのなにかに、わたしのなかのなにかが。
でも今日はがんばれました。

1日3つが限度かなとおもう。

将来?

社会への入門試験。それが3年くらい、つづくだろうか。働いて、仕事のノートを書いて、仕事のこと以外も考えて、身だしなみもそこそこに気を遣い、他人と話をして、家族とも話をして、夜は眠り、日に3度食事をして、なにもしない時間ももって、深呼吸をする…

わたしはいまでも、自分の人生をわかりやすくしたい。こう生きる、こう死ぬ、と自分にわかりたい。そうでなければ落ち着かないのだ。こう生きるから、こう死ぬから、それが自分にわからないと、今日、いま、どうすればよいのかわからない。わからない。

働きながら、ほかのテキストを読むことは、できないのかもしれない。
まるで、この道しかない、この仕事で結果を出して、この仕事で転勤して、この仕事をいっしょうつづけて…そんなふうに、しなければならないのかもしれない。
あるいはやはり社会入門の1部として如才なくやり遂げ、そして、ふつうのひとに成り変わり、そして、そして、ふつうのひとのように、異性と暮らすのかもしれない。

自分には向いているとはおもえなくて(頭を使う仕事は苦しくなるし、プレッシャーが大きすぎる)、仕事をがんばりながら、資格を取る道を、歩きたい、と考えていた。生まれて初めて、自分で決断して、責任を持って、やりたい。
だが、わたしの頭では、仕事と両立できないのかもしれない。そしてもうひとつは、「仕事に関わらないことなどにすこしでもかまけるなんて、いったいなにさまなのか。この機会に全力で取り組みもしないつもりか。いったい恩知らずもすぎる」とおもわれてしまうことが、怖い。それは事実だからだ。
けっきょく、わたしは、「身をこにして働く。自分の時間などない。命まるごとすべて捧げる」そういう働き方、生き方の、家族観のなかで育った。それ以外の生き方をする、つよさがないのかもしれない。ほかに術はないから、家族のためだから、生きるためだから、やらなければ飢え死にするから、そうしてみな生きてきた。みなそう言って、そう求めて、そう行動した。
事実としては、父も母も、そんな暮らしの中でどうにかして自分だけの選択をつづけてきたのだろう。しかし、幼く、狭い、わたしには、それらは見えなかった。聞こえなかった。わたしは石ころのようだった。みな、石ころのようだった。

ならば、そのように生きればいいではないか。
そのとおりだ。

家族に感謝すること。自分を止めないこと。ひとつずつ取り組んでいこう。

わたしはふつうのひと。病気ではない、障害をもたない、五体満足の、ふつうのひと。それでも、懸命に生きている。
わたしは、病気のひと、障害のあるひと、五体不満足のひとと、おなじように、今日死ぬかもしれない。

炭酸の入ったペットボトルを逆さまにしたまま蓋を開けたら、それは無理で、びしょぬれになる。

夜歩いていると、頭が冷静になるからだろうか、自分にもっと、ちいさくなってほしい。もっと、ちいさくなってほしい。

8月25日日曜日

昨夜は声が多い。とても多い。
雨が降っていた。

くるしい夢ばかり見る。ひとつでは、最後には大波がきて、けっきょくみな、死んでしまうのだった。
混乱した夢、たくさんのひとびとがいる夢、なにごとかのわからない流れの中にいる。みなが、わたしも。

朝晩は寒い。

はぴがいない。

4、5日前から、舌のどこかが痛い。どこなのかわからない。夢の中ではわかっている。

眠る前に、現実に怯む。

今日はお休みの日。今日はお休みの日。本を読んで、刺し子をするつもりだ。

(できなくてもだいじょうぶ。だいじょうぶだよ)

はあ……

寒くなったから、母が布団を出してくれる。ベッドの上に広げる。ありがたい。

今日はお休みの日。

シーツの中にたくさんの羽根とビーズが入っていて、部屋に舞った。ふわふわ。顔が痒くてたまらない。

舌の傷を見つける。

変化に対応できない。ベッドの上に座れなくなったことにどう対応すればいいのかわからない。もっと冬になったら、ベッドの上で丸くなる。夏はベッドの上に座る。いまは、どうすればいい。
人間はどうすればいいのだろう。どこに座って、どこにいれば、いいのだろう。
わたしのものではないようなものに押し潰されそうにかんじることがある。わたしのもの、とはなにか。わからない。

なにもかにもわからなくて苦しい。
わかりやすくしたい。

今日はお休みの日。けれど寒くて、部屋が変わって、わたしはわからない。

机に向かう。壁に向かう。わたしは外が見たい。わたしは身体をやすらがせたい。なぜそれができないのだろう。

気持ちが沈んでいく。

変わったことに対応できない。

むしろ休まらなくなっている。むしろ本など読めていない。だんだんと腹をたてはじめる。湿度や、メモがないことや、わからないこと、わかるようにできないこと…持ち物は少ないはずなのにもう本を置く場所がなくて唯一の大切なものなのに本をどうにかしなければならないのかわからないこと…ベッドに座れないこと…休みたいこと…なぜか居場所がないこと、休みの日なのにほかにいる場所がなくて机に向かうしかなくてそうするとメモをしてわかりやすくしようと何時間も背中を丸めてしまったこと…

腹を立てている。まったくもって。

どんどん難しくなる。

話がぜんぜんちがう。

暑い。

休みたい。

どこで?

休みなどないのだ。安らぎなどないのだ。そしてふつうのひとのように振る舞わなければならず、わたしは精神を薄めていく。

わたしはわたしの自我を薄めていく。

目覚めてはいけない。

目覚めてはいけない。

父が、「こいつはばかだ。なんてあほなんだ」と言う。

目覚めてはいけない。

今日出掛けたときには、「わたしは自分をぼろ雑巾のように扱おうとしている。自分を傷つけようとしている。苦しいから、殺そうとしている」と考えて、自分を止めるつもりだった。今日は1日中混乱していた。

帰宅して、母の役に立ったことを、うれしく考える。今日1日うまく休めなかったけれど、役に立てたことひとつでもよかった。来週はもっとうまく休めるだろう。

今日は身体に力が入らない。

そして、「こいつはばかだ。なんてあほなんだ」、と言う。聞く。

目覚めてはいけない。

ここから目を覚ましてはいけない。

お化粧をして、ふつうの服装をして、鞄をもって歩いている、ふつうのひとしか見えなくて、顔をあげられない。
わたしはじぶんがくるしい。

メモを見ても、恥ずかしくなる。なにさまなのか。とにかく身がすくむ。

勉強しても恥ずかしくて、しなくても恥ずかしい。

くるしいのに、どこにも休めない。

休み方がわからない。

目覚めてはいけない。

こんなに身体に力が入らない。

ここはわたしが安らいでよい場所ではない。わたしにはそんな資格はない。

ごくつぶしだから。

ほら、だから、元気を出してよ。
元気を出して。

働いたらいいね。
勉強したらいいね。
そうしたらきっと…

自分であることがくるしいや。

心があることがくるしいや。

要らない。

わたしはわたしが要らない。

頭が冷たい。

勉強なんかしてばかものだ。
勉強すらしないでばかものだ。
どこにいてもなにをしてもあほだ。

それなのになぜ生きているの。

わたしが生きる意味はわたしにない。

金にしかない。

わたしのミラクルクエッションのことは考えられていない。

生きるのがつらい。
ひとりぽっちがつらい。
家族といたい。
いられない。
ごくつぶしだ。
でもどこにいてもなにをしてもなにになっても、それは変わらない
わたしは手にできない。

そんな、人生。

楽しみはない。
希望はない。
自分で持てない。
そんな力ない。
頭が冷たい。

ばかだと言われて、あほだと笑われて、そんな人生。でもほかにない。ほかの人生はない。

わたしの人生はわたしに捨てられた。

わたしは家族に…

働いて、それで家族がよろこんでくれるといいね。

いいね。

身体を切り刻む。

8月24日土曜日

早く起きてしまう。目が覚めても横になっていること。我慢できず 、起きてしまう。あまりよくない。
冊子を読む。

たくさんの奇妙な夢を見続けている。

わかりやすくできない。わかりやすくしようとしているが、わから なくて、わかりやすくできないでいる。

昨日母が、弟の態度をどうかしらと言う。1千万円以上も大学費用 として出させておいて、あの態度は理解できない。 母の言い分はわかる。わかりすぎるほどだ。わたしと弟には、 甘えがあるだろう。しかし、弟が、「たいへんな費用をかけて育て てもらった恩を背負っている」と自覚して、 生きていけるだろうか。恩に見返るほどの存在である、 存在になる、と覚悟できるだろうか。 弟には仙人のようなところがある。なにも悟りを開いているふうで はないし、友だちとはよく話すし、子どもの頃から、自分がやりた いことは犠牲にせずにうまくもちつづけているようだった。 おしゃれだし、玄米を食べている。ふつうの青年だろう。それでも どこか超然としたところがあって、もしかしたら、僧侶とか、 登山家とか、phaとか、絵本作家
なんかになっていても、おかしくないかんじがある。10年を1日 として生きている。いろいろなことはやるが、精神がなにかを貫い ている。父に似ていて、父よりも器用に生きている。 挫折が早かったからかもしれない。
あるいはある日とつぜん女の子と結婚して、子どもをつくってもお こしくない。弟は、たぶん、どこに、だれといても、 自分の人生を生きていくだろう。だがそれは、みなそうではないか 。
学費のことも生活費のことも、子どもの頭から消えてなくなりはし ない。態度に表さなければ、他人にとってはないとおなじだ。

わたしたちは大人になれなくて、なりたいとはおもっているが、う まくなれなくて、子どものような息ばかりしている。

朝早く起きすぎた。不安なのだろう。加速している。加速してはな らない。我慢してほしい。
じっと我慢してほしい。
がむしゃらになってはならない。
がむしゃらになってうまくいく頭はもうないのだから。

身体がふわふわしていた。それでも出掛ける。ひとがたくさんいる 。立ったまま、時間が経つ。
不安でも動くしかない、しんどくても歩くしかない、そんな話が血 液の中を、骨の中を、走り回っていて、騒がしい。
つぎの場所に移動しながら、「これは…」とおもう。動いていたら 、落ち着いてくることもあれば、今日のように、自分が考えている よりも身体は苦しんでいて、くずおれてしまいそうになる、日も、 ある。
手にも足にも力が入らない。脳貧血が起きている。深呼吸をする。 心臓はだいじょうぶ。けれど、身体が、重くなるはずなのに、薄く 、まばらになる。
倒れるのかもしれない。不安でたまらないはずなのに、頭は白くな っている。震えているかもしれないと、自分の手を見た。
お湯を飲む。
重いものに引っ張られて、転びそうになる。
待っている。
もうすぐ帰り道。
そのときようやく、納得する。「これはあまりよくない状態だ」
倒れるのか、倒れたら、こんなところで…
目の前が真っ白になって、真っ黒になって、そうして意識が遠退い て、それでもわたしは歩くが、やがて倒れてしまう。
それを知っている。
倒れるのかもしれない。
どきっとする。
何度か、どきっとする。
あー、あー。
もう知るか。倒れるなら仕方がない。倒れるしかない。
もう知るか。勝手にしてくれ。
踵をどんと下ろす。
感覚のなくなった小枝かもしれない足をだんと下ろす。
ずん、ずん、床を踏みつけて、歩く。
知るか。
勝手にしてくれ。

それは、帰り道だったから、もちこたえたのだろうか。わからない 。

昨夜考えていた。行動するしかない、という言葉は強い。そして、 行動するしかないところで行動して、ひとは克服していく。その事 実も強い。とても強い。
だが、行動の中で一線を越える精神もある。にどと戻れないところ へ行ってしまう場合があることを、強い話のあとには、 するべきではないか。
・怖くて動かない
・怖いけど動いて動ける
・怖いけど動いて壊れる

そういう話を、たくさんの行動療法の、強い話のあとに、してほし い。

今日の身体のよくないことのいくつかの要因かもしれないこと
・ものがわからなくなっている
・メモがわからなくなっている
・4時に起きて読んだ
・曇り空
寒い朝
・寒い午前中の風
・午前中ゆっくりできなかった
・午前中あたたかいものを飲んでトイレに行くことができなかった
・朝食の前になにも飲み物を飲まなかった(いきなり食べた)
・行動がわからなくなっている
・わからないことを考えつづけている
・運転する目の前で女のひとが飛び上がった
・男のひとが振り返る
・昨夜散歩がおかしかった
・昨夜男のひとと赤ん坊とすれ違う
・昨夜母が「ニュースをつけて」と言う
・立ったままでいる
・自分の顔が醜い
カート・ヴォネガット全短編集を3巻読んでしまってあと残りひ とつしかない
・バインダーが700円と書いてあって高すぎて200年ほど使っ てもとをとらねばならないこと
・弟ががたごと言っている
・出発前に母がいなくなる
・出発前に父が「出掛けるのか」と訊いてきて驚いてうまく返事か できない
・自分の身だしなみが恥ずかしい
・シャッターが閉まっている

わたしの身体をわたしの身体から…

むずかしくてわからない、できない、って、言っていいんだよ。

急ぎすぎているし、やりすぎている。
わからないから、焦るのだろう。

ほかのひとよりもがんばらなきゃ。できることぜんぶしなきゃ。

ほかのひとができることよりもできなきゃ。ぜんぶがんばらなきゃ 。

与えられて唯一の機会だから。
最後の機会だから。

8月23日金曜日

奇妙な夢ばかり見る。複雑で、もの悲しい。ひとつの夢では、ひと りも人間がいない、とおもったら、ひとりだけいた。

早めに起きてしまう。時計を見てしまったのだ。トイレットペーパ ーがなくなったから。布団の中にいたが、メモをすることにする。

社会への参加試験だ。最後の機会でもある。
そこが最後で最初だが、最後にはならない。

社会人になったら、気兼ねなく、勉強できる気がしていた。そうは ならないかもしれない。そんな勉強よりも、こちらを勉強するべき だろう、そんな声。

そこでがんばること。ここでがんばること。それからさきは、きっ と、べつのところに変わる。
そのことを忘れないで、歩くこと。

身体がぎちぎちだ。やすらげない。加速。やすらごうとして身体が 謀反を企てる。

ノートもわからない。なにもわからない。なにもわかりやすくない 。メモもない。

よくないかんじではないけれど、頭が落ち着いていない気がして、 音楽を1曲聞く。そういうことができることに、胸が満たされる。 ほんのすこしのこと、あるかないかのこと、それがわたしの、かけ がえのない、成長だった。

感謝すること。

父が英語に憧れる理由をかんじた気がする。ものが言いたい、それ だけなのかもしれない。

ヨーロッパの山並みを見て、ビルだらけの日本をこきおろす。美術 品を見て、殺して盗んできた、と言う。父はそういう考え方をする 。

人間に留学する。

人間に留学するインターン生。

ファンデーションを塗った。えらい。えらい。今日は母と出掛ける 日。目の前を見ること。

抜まつげ癖をやめないと、はげてしまう。

こんなふうに1日1日を生きていて、ある日ミサイルに殺されたり するのか。明日や、明後日や今夜、地面が裂けるのか。
ふしぎなかんじもするし、ふしぎでもないかんじもする。精神視野 狭窄であると同時に拡散している。

いまの時代とか、この国とか、文化とか、消費税とか、そういう話 を父はする。大真面目にしている。それはたぶん、おかしなことで はない。
わたしは、なんだか、そういった話と現実と現実の折り合いがつか ない。他人がしたら非難することを自分では平気でしたり(運転) 、国境がどうとか…税金、虐待、廃棄物、肉食…
わからないのだ。みな平気な顔をして、議論をして、意見を言って 、非難して、指差しあって、それから、生きている。
なんで生きられるの。
生きてる場合じゃないのに。

頭ではわかるのだ。あらゆる問題を、ひとつずつ解決するなんて無 理で、だからあらゆる問題を、ひとそれぞれが関心をもてばいい。 だれかがひとつ取り組んで、ほかのひとはほかの話をして、 それでいいのだろう。同時なのだ。並列。拉致も、 マグロが死なない水槽も。

頭ではわかる。だが、精神が混乱してしまう。いまだれかが地雷を 仕掛けている。それは地球の話だ。

地球。

頭がすこしへんだ。

白猫いる。
白猫以外いない。

今朝はからすがなんわもいた。じゅうくらいいた。

気持ちが落ち着かない。苦しいというよりは、興奮しすぎているの だろう。

8月22日木曜日

奇妙な夢ばかり見る。入眠前は頭が加速して、深呼吸をするが、頭 は止まらない。

直らない。にどと元には戻らない。
そのことを忘れないこと。

よくない。目の前がわからなくなっている。まったくよくない状態 になっていることにも、気づいていない。

見捨てられたもの、見放されたもの、だれからもかえりみられなく なり、あとは自殺を待たれるだけだった。
奇跡のようなことだ。応える。

全力で応える。わたしはわたしに懸ける。できることはすべてする 。予習をして、訓練をして…。

(わたしは全力で取り組む。そうすべきだし、わたしはそうするだ ろう。それはまちがいではない。それでも、ひとつだけ、 忘れてないでほしい。この与えられた奇跡のような機会が、わたし の命を永遠にするわけではない、ということ。数ヵ月、数年、 人生を引き伸ばしてもらえるだけなのだ。ギフト。そう、これはギ フトだ。だから、没頭しても、没頭しないでほしい。生きることを 忘れないでほしい。死ぬことを忘れないでほしい)

わからなくなりすぎている。なにか、ほどかなければならないので はないか。精神が凝縮しすぎている、同時に、拡散しすぎている。 わたしというまとまりがまとまりを欠き、なお絡み合っている。
なにか、ほどかなければならない。

午前中、時間を間違える。気づいて、自分の混乱にも気づく。

なにの余裕もなくなっている。まだはじまってもいないのに。いや 、はじまっている。
気持ちが急いているわけではない。意識は急いていて、無意識も急 いているが、気持ちは呆然としている。
昨日立ち読みした本に、「スーパーノーマル」と書かれてあって、 兄に手がかかりすぎたせいで、優秀な正常な妹は家族に愛されなか った、というような話だった。噛みつく仔犬と可愛い仔犬ならば、 可愛い方を捨てる、なぜならば拾ってもらえるだろうから。
わたしはこういった話に限らないが、簡単に、両親が悪い、頭がお かしい、普通じゃない、可哀想、そうかんじることも、言うことも ない。
戸惑うだけだ。

心細くてたまらない、と言うこともできるだろうか。離れなければ ならなくなり、しかもひとりでやる自信はなく、頭はいっぱいで、 いますでに震えはじめている。そんな自分をなぐさめて、 なんでもないことだよ、普段通りにすごそう、出掛けよう、 おいしいね、かわいい猫を見よう、そう、 言ってほしいのだろうか。

どんどん離れていく気がするのだ。離れたらふたたびここには戻れ なくなり、わたしは…

昨夜、はぴと歩いた道を、散歩する。はぴはいなくて、母もいなく て、はぴとおなじ故郷の、いろのちがう、犬もいなくて、みんな、 死んでしまったみたいだった。現実などなくなってしまったみたい 、なにもかもがずれていて、わたしと目の前がずれていて、 わたしはまるで、わたしを見ているようだった。

はぴがいないこと。

はぴがいかいこと。

気を紛らせられないこと。

わけがわからない。
たすけてくれ。だれか引っ張り戻してくれ。
取り組みはやめないから、ちゃんとやるから、だけど、わたしにわ たしを見失わせないで。
わたしだけがずれていく。

わたしだけがいない。

わかりやすくしたいのに、それもできない。

目覚ましが鳴るまで目を閉じている。

わたしが話すと、とたんに父が大声をあげる。「おい、おい、おい 、おい!」そして、母はわたしのことを忘れて、わたしは歯を磨き 、いなくなる。
それはそうだろう。なぜ父と母が、わたしを大切に扱ってくれるだ ろうか。いまになって。

自分にも現実にももううんざりだ。混乱を混乱で打ち消して苦しみ を苦しみで打ち消して痛みを痛みで打ち消して、 打ち消せてねえよ。

打ち消せてねえよ。

麻薬だ。

現実が現実を麻薬にして現実を見ている。

わたしはこんなふうに生きたくない。適当に曖昧に意義もなくうや むやにだれでもないかのように夢のように生きたくない。 地に足つけて、なにひとつ見逃したくない。なにひとつ適当に扱い たくない。わたしのなかでわたしをひとつも潰さない。 ひとつも無視しない。要らないものみたいに、 知らぬ間に管理させられているみたいに、自殺を待つだけのために 、生きたくない。
わたしはわたしをあしらいたくない。掴んで、ゆさぶって、なんど でも、引きずり立たせる。生きろよ、そう言って、反対意見は認め ない。死ぬ気で生きろよ。死ぬときも生きる気で…

ふたつを交互に行うルーチンを用意しておくこと。そうすれば、飽 きるまでに時間がある。また、片方を変えることになっても、その 動揺を、もう片方が落ち着かせてくれる。

母はもう、わたしのことをあまり心配しないことにしたのだろう。 未来が決まったわたしは、すっかりよろこび、もうなにも心配はい らず、あとは自動お掃除ロボットのように、するべきことを果たし ていく、しかもよろこんで! そうおもっているのだろう。そんなわけないのに。人間の心がそん なふうに単純なわけない。
とおもいながら、こうしてやけになったり、すねたり、へこたれて 、自暴自棄に、心細く、かなしみに暮れる、子どものような自分を 、なんとなく、見ていた。かんじることと、わたしそのものとの距 離だろうか。
母の心も単純ではないだろう。

母は父を選んだ。父に付き従い、かまい、気にしつづけなければ、 食べてこられなかった。わが子よりも、父の動向にひっきりなしに 揺さぶられる。わたしたちは、父という舟に乗り合わせた、 力のないものたちだった。

声を出すことと、暴力を振るうことは、似ているようだ。頭では、 いざとなれば、その心がけ次第で、声は出せる、殴れる、と考えて いる。しかし実際におよんでみると、身体はすくんで、なにも出て こない。

大学から帰ってきたばかりのころ、弟が、荷物を代わりに受け取っ たわたしに、わざわざ、「ありがとう」、と言ってきた。
わたしはあのひと言を忘れていない。
弟もわたしも、まるではじめから、ずっと前から、よくないものだ ったようにおもわれている。

父は支配する。父の無意識が支配する。
その大きな支配の中で、わたしたちは引き裂かれてしまった。父も だ。人間にはどうしようもない力があって、わたしたちに降り注ぎ 、その雨の中でも懸命に生きたから、いまもみな生きていて、 そしてまだ引き裂かれている。
頭ではわかるのだ。父がどれほどなにを言おうと、わたしたちは家 族と関わることをやめてはならなかった。母とも、兄弟とも、 父とさえも、関係をつづけるべきだった。そうしたかった。 そうできなかった。
引き裂かれながら、「引き裂かないで」と言うこと。
引き裂かれながら、「引き裂かれない」と言うこと。

人生の苦しみ。

けっきょくわたしは、父の言った通り、ただ弱く、努力が足りず、 だからどこにも、だれにも通用しない。

母は、父から離れることはないし、わたしは母を独占したがっては いけない。自分のためにいけないよ。でも怖いから、とても、 とても、怖いから、離さないでほしい。

日々、母の買い物のお手伝いをすることは、あきらめること。自分 の時間を、自分の努力に使うこと。その責任と重圧を負うこと。
その代わり、週に1度は、母といっしょに過ごすこと。過ごす時間 をめいいっぱい楽しむこと。
よりかからないで、隣を歩くこと。

じつは今日こそひとりで出掛けて、セブンイレブンのカフェオレを 飲んだりして、帰ってくると、よかったかもしれないね。

1時的には感情そのものになったりもするが、こうして、頭の隅や 、心の奥では、家族に感謝する気持ちや、自分という存在のゆるさ れなさを、忘れていない。

うまい具合の時間の過ごし方を見つける。無為に過ごす方法を見つ ける。そういうことをしたほうがよい。わたしは、みっちり、 しすぎているから。
だから弾けるし、身体もやすらがない。

「ひとりで行けたよ!」

頭の中でどんどん言葉になっていく。行動よりも言葉が先んじる。 ひとりで行けたよ、しかもひつようなものを見ただけじゃなくて、 ほかのものも見てみることができたよ。
そうして、頭の中がぐんぐん先に行く。動力を持たずに、ひきつら れていく。道を間違えたが、慌てずに、もとの道へと、合流した。
1年ぶりに入店した、と考えたら、2年ぶりなのだった。ひとはい て、しかし、とてつもない大勢ではなかったとおもう。わたしはあ まり周りを見ていなかった。半分は意識して、もう半分は言葉にひ きつられて。
明日は雨が降るかもしれなかった。雨が降ったら、出掛けられない かもしれなかった。だから出発した。夕方のこと。1時間あれば、 帰ってこられるとおもう。
書店にも寄った。普段寄る店舗とはちがっていたから、まあたらし いかんじがする。たくさんの本がある気がする。なにか1冊買って 帰ってもいいな、と考える。しかし、頭はこのごろのルーチンをし っかり忘れていなくて、衝動買いはよしとしなかった。
そんなことがうれしくて。ひとりで出掛けられたことも、出掛ける と言うと、母が笑顔で送り出してくれたことも、適切な買い物がで きたことも、明日のことを考えて今日行動できたことも、自分が落 ち着いていたことも、深呼吸もしたことも、それから、「ただいま 」が聞こえる声で言えたことも、うれしい。

父がうつむいてばかりいて、すこし気かとがめた。

父がよろこんでいる時間を、もっと認められるようになりたい。
母に、書店で本を1冊買ったら、おまえに小さなうちわをもらえた ことを話したかった。今日は話せそうにないけれど、 これからすこしずつ、話ができるようになる気がする。そういうふ うに向かう努力をできる気がする。

すこしずつ、みんな、生きている。