つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月26日月曜日

父の笑う声が聞こえる。努力が足りないと呆れられ笑われた。努力をすればあざけられ、高く、高く、笑われてきた。

ふたつのものに挟まれて、どっちつかずなわたしは、自分を引き裂く。

高級なこと、贅沢なことをしている気がして、つぶれそうになる。やるべきだとも、おまえにはあり余るとも、考えられる。
ひつようなことをしているだけ、とはおもえない。するべき準備をしているだけ、とはおもえない。だが、そうしているだけではないか。

夢を見続ける。ひとつの夢にははぴがいる。はぴはだれかの足の先をいっしょうけんめい引っ張っている。わたしの足でも、母の足でも、あるようなのだが、別の足のようでもある。そういう角度なのだ。わたしははぴが可愛くて笑っている。「見て、お母さん。はぴったら、なかに歯列カバーの洗浄タブレットを隠したスリッパは、もう隣に脱いであるのに、それをはぴたら忘れちゃって、まだこっちを探してるよ」はぴは楽しそうに嬉しそうに、いっしょうけんめい引っ張っている。隣には黄色い猫の柄のスリッパがひとつだけ置いてある。母はあまり返事をしなかった。
もうひとつの夢では、わたしは出勤しようとしている。肌寒い朝、出勤の途中にほかの場所に入り込む。そこを経由するひつようがあったのかもしれない。ただのふたつの部屋のようでも、クリニックのようでも、派出所でもあるような場所だ。看護師さんが数人いて、わたしを見て、「ああ、ほら、よかった。責任感のある子がきてくれた」と言う。みなとても忙しくばらばらと歩いている。ひとつめの部屋には、ふたりの人間のゆがんだ身体が横たわっている。肌は白く、霜がついていて、がりがりに痩せたほうのひとりは目を大きく見開いている。もうひとりはふくよかな腰回りが見える。死んでいた。わたしは横目で気づいて、「ひとは死んだらほんとうにこんなに冷たく固くなるのか」と驚く。わたしは出勤しなければならな
いから、忙しくするみなの間をやがて通り抜ける。そのときにもういちど凍ったふたりを見ると、早くもふたりは溶けていた。いまに、臭いが出る。
もうひとつの夢では、知らない場所にいる。学校のような作りで、そこにはベトナム人ばかりがいて、日本人はわたししかいない。ベトナムの男の子達がたくさんいて、わたしを眼差す。わたしと同じくらいの年の女の子たちは、それをにこにこ笑ってみている。わたしは男の子達に教えられることがなくてそわそわとしている。手にはあやとりの紐があり、それをなんども指に絡めてみるのだが、やり方を思い出せない。きちんと覚えてくればよかった。そうすればみなに教えられたのに。廊下に出て、トイレを探す。場面が飛び始める。教室、窓枠、窓の下。

今朝も寒い。からすの声だけが聞こえる。

昨日は極端にうまくいかなかったけれど、実際のところの問題点は、変化に対応できないこと、にひとつはあるのだろう。それが、自分が予定した変化であっても、だ。
気持ちが苦しくなると、自分を苦しめることで答えを合わせようとする。教科書に書いてあるような事態に陥るわけだ。昨日の私は、新しいお布団を出してもらえたことに感謝するよりも、自己嫌悪に陥る方が楽で、罪を償うために、自分の身を切り開こうとしていた。というところがあったとおもう。
昨日は休憩もなくなり、深呼吸もなくなり、とにかくあらゆることがばらばらに(身体の代わりに)なってしまった。
休むということの難しさを痛感する。

自分勝手に努力していると考えることをやめて、まあ、やっておいたほうがいいようなことを、ちょっと、やっているだけ、くらいに考えたい。
それから、そのことにばかり集中してしまう、しかも過集中してしまうことに、どう対応すればよいか考えておく。これからも、同じことになるからだ。

うまくいかなくても、いまならば、振り替えれる。ほかの方法を試せる。人生が与えられていることに、ゆるされていることに、感謝すること。家族に感謝すること。

考えぬからないこと。
わたしは死ぬということ。
働けることに感謝して、がんばる、けれど、全力を注がないこと。わたしの人生の意味はわたしの中にしか見出だせない。
生きることを手放さないこと。
時間ではない。わたし自身の取り組み次第だ。

ふつうの格好をしているひとをうらやましくおもうのは、モンブランに登るひとをうらやむのと同じだ。自分の意思というよりは、力がうまく働かなくて、ひとは病気になるし、山に登れないし、服も着られなくなる。父は医療反対派で、癌は精神が強ければ消える、と考えているが、そう考えられる強さもひとつの力であって、それはだれにでもあるものではない。
社会の中に入り、そこで働き、他人と挨拶をすること。それはわたしにとって、モンブランに登るようなもの。
できっこない。
だから、あきらめるのではなくて、自棄になるのでもなくて、ほどほどの妥協点を見つけよう。
うまくやることよりも、うまくやることを考えよう。

優しいひとになりたいから。

生理がはじまって驚く。

『ワン・プラス・ワン』のなかで、ケバブを食べたことをあなたは責めなかった、と感謝する場面がある。
父は、したせいだ、したからだ、自業自得だ、わかりきっている、と即座に言う。悪気はない。率直なだけだ。胸がつぶれる。
しかしそれもわたしのせいなのだった。

寝落ちする。

今日の予定のものは終了した。おつかれさま。今日はここまででいいよ。

寝落ちして、目覚めた直後に冷凍庫のひときれのアイスを食べる。なにか…ばれているようだ、わたしのなかのなにかに、わたしのなかのなにかが。
でも今日はがんばれました。

1日3つが限度かなとおもう。

将来?

社会への入門試験。それが3年くらい、つづくだろうか。働いて、仕事のノートを書いて、仕事のこと以外も考えて、身だしなみもそこそこに気を遣い、他人と話をして、家族とも話をして、夜は眠り、日に3度食事をして、なにもしない時間ももって、深呼吸をする…

わたしはいまでも、自分の人生をわかりやすくしたい。こう生きる、こう死ぬ、と自分にわかりたい。そうでなければ落ち着かないのだ。こう生きるから、こう死ぬから、それが自分にわからないと、今日、いま、どうすればよいのかわからない。わからない。

働きながら、ほかのテキストを読むことは、できないのかもしれない。
まるで、この道しかない、この仕事で結果を出して、この仕事で転勤して、この仕事をいっしょうつづけて…そんなふうに、しなければならないのかもしれない。
あるいはやはり社会入門の1部として如才なくやり遂げ、そして、ふつうのひとに成り変わり、そして、そして、ふつうのひとのように、異性と暮らすのかもしれない。

自分には向いているとはおもえなくて(頭を使う仕事は苦しくなるし、プレッシャーが大きすぎる)、仕事をがんばりながら、資格を取る道を、歩きたい、と考えていた。生まれて初めて、自分で決断して、責任を持って、やりたい。
だが、わたしの頭では、仕事と両立できないのかもしれない。そしてもうひとつは、「仕事に関わらないことなどにすこしでもかまけるなんて、いったいなにさまなのか。この機会に全力で取り組みもしないつもりか。いったい恩知らずもすぎる」とおもわれてしまうことが、怖い。それは事実だからだ。
けっきょく、わたしは、「身をこにして働く。自分の時間などない。命まるごとすべて捧げる」そういう働き方、生き方の、家族観のなかで育った。それ以外の生き方をする、つよさがないのかもしれない。ほかに術はないから、家族のためだから、生きるためだから、やらなければ飢え死にするから、そうしてみな生きてきた。みなそう言って、そう求めて、そう行動した。
事実としては、父も母も、そんな暮らしの中でどうにかして自分だけの選択をつづけてきたのだろう。しかし、幼く、狭い、わたしには、それらは見えなかった。聞こえなかった。わたしは石ころのようだった。みな、石ころのようだった。

ならば、そのように生きればいいではないか。
そのとおりだ。

家族に感謝すること。自分を止めないこと。ひとつずつ取り組んでいこう。

わたしはふつうのひと。病気ではない、障害をもたない、五体満足の、ふつうのひと。それでも、懸命に生きている。
わたしは、病気のひと、障害のあるひと、五体不満足のひとと、おなじように、今日死ぬかもしれない。

炭酸の入ったペットボトルを逆さまにしたまま蓋を開けたら、それは無理で、びしょぬれになる。

夜歩いていると、頭が冷静になるからだろうか、自分にもっと、ちいさくなってほしい。もっと、ちいさくなってほしい。