つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月5日月曜日

一晩中足音がしていた。泣き声と、話し声と、かぽ、かぽ…。何度も目を覚ましながら、音を聞く。

肩が凝っている。

今日はハーブティーはなし。

自分のことは考えていない。

パンがひと袋なくなっている。もちろんお菓子もだが。

読書をしようか。暑い日だ。蝉がないている。かぽ、かぽ、かぽ…。わたしがいればいたで、加速する。

暑い日だ。
水道水ばかりを飲んでいるからだろうか、胃が疲れている。
みんな完徹。そういう日だ。

本を読もうか。

暑い日だ。わたしはものを考えないでいる。なぜだろう。まぶたが重い。腫れぼったくて。

自分がどんなに幼いか。思い知り、つづける。

午後、家族と海を見に行く。水平線と空。海がこんなに大きいことをわたしは忘れていた。海の音の大きさも、潮のにおいも、空の重さも、雲の速さも多さも、忘れている。
波が寄せて、ざぶん、折り畳まれる。その際に白波が立ち、向こう側では盛り上がった波の緑色の壁が見える。ざぶん。大きいね。
遠くに見える山は、青色をしていて、一段ずつ、色褪せていく。最後の山は、空と、変わらないように見える。「あれは岬かな」母が指をさす。わたしにも、母にも、わからない。
雲が多い。空が広いからだ。たくさんの雲、雲、雲。雲の中に真四角の穴が開いている。あれはなぜ。なぜ。
父が石を拾っている。
帰りに、昔住んでいた家を見た。平屋の小さな家。わたしは小さかったから、覚えていないだろう、と母は言う。わたしは、たぶん、覚えていない。けれど、胸が締め付けられるようだった。日々の暮らしが失われた記憶になって、身体のなかに残っている。
記憶としても、断片的にある。どこからが夢かはわからないが。
小さな家。わたしたちが生きていた家。

肩が凝っている。

読書のメモをパソコンに入力して、それを読書メーターに登録した。ストレスが強い。恐怖が強い。ただのバックアップだとおもうつもりだ。だれかと繋がるためのものではない。だから、大きな罪にはならなければいいが。
どの他人とも会話するつもりはない。
その気持ちだけが、わたしをなだめる。

このことについては、苦しみしかないようだ。
わたしは、インターネットも、snsも、他人も、嫌いだ。

昨日は、自分の弱さを自覚して、もう二度とひとりで出掛けられない気がしていた。今日は、すこしだけ、気が落ち着いて、難しいことはできなくても、近所におつかいに行くことや、仕事場まで行くことは、できるかもしれない、できるようにがんばってみてもだいじょうぶかもしれない、とおもう。
がんばってみても、普通の人間のようにまではなれなくてもいいし、難しいときや、頭がよくないときには、休んでも、かまわないのかもしれない。

一段上の目標を掲げていると、普段のままならない日常の困難さがやわらいでいいが、日常でせいいっぱいなのが真実であるから、目標はかならず夢になる。ふしぎなことをしている。

もしも家族が、「そろそろちょこっとひとり暮らしでもしてみたら?」と言ったら、わたしはうなずくのだろうか。たぶん、そうなのだろう。家族を信頼しているからだろう。
へんなかんじがする。跡を継ぐものはわたしではないのだから、わたしはいずれどこか別の場所へ行かなければならないのかもしれない。

できるようになりたいことはたくさんある。
・車の運転(家族の役にもたつ)
・家事
・大勢の中にいてひとりで物思いにふける(解離)
……

こんどの帰省では、ほんのすこしまえに思い付いたのだが、たとえミスタードーナツを買ってこられたら、喜んでもらえるかな、と考えていた。実現はしなかったが、つぎはどうか。しかし、夏は腐るし、冬はウイルス。困るね。

今日はテキストを読んだ。よくできました。

考えごとはしない。

肩が凝っている。