つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月21日日曜日

昨日は午後に母と出掛ける。渋滞で止まっているときにとつぜん気がつく。苦しくない。いまわたしちっとも苦しくなっていない。心臓がめちゃくちゃになっていない。身体がひきちぎられそうなほど緊張していない。どこも張っていない。どこも縮んでいない。なにも、巻き込まれていない。ずれていない。痛くない。苦しくない。ふつうだ! 狭くて暗い駐車場に入っていっても、5年以上もきたことがなかった道を歩いても、ふだんとはちがう行動をしても、ひとが大勢いても、肌寒くても、わたしは苦しくなかった。ふつうだった。
そのときは、ほんとうに驚いた。自分が苦しくないことにも、ということはこれまでは自分でわかっているよりも苦しかったことも、実はひっきりなしに苦しかったことも、知らなかったから。驚いた
苦しいことは、はじめから終りまで、つづいるものだとおもっていた。それに耐えられなくなることがあるだけだと。でも、昨日は苦しくなかった。耐えなくても、苦しくないだけのこともあるのだろうか。

朝からベトナム人実習生の過労死や失踪や搾取や虐待のニュースでよい朝で父もご機嫌に音声を連続であげる。
わが子の幸せを願う脳機能は父にはない。それは人間のバリエーションだ。
わたしが出稼ぎに行って、一生実家に仕送りをつづけたら、父はわたしを愛してくれるだろうか。大切におもってくれるだろうか。いや…。わたしはずっと、そうすべきだとおもい、考え、そうしようと生きてきた。生まれてこのかた、家族から抜け出ることを考えたことはない。両親を養い、姉を養い、生きることしか、考えたことはなかった。これもわたしというもののバリエーションか。
できることならば、いまも、そうしたい。
つとめを果たし、生きてよいものになり、生きたい。

できることを見つけるのではなくて、できる場所を見つけた弟を、直視できない。

できるということは耐えられるということ。

他人とおなじことができないわたしは、お金を稼がないわたしは、父に自殺を願われても仕方がないだろう。父は…もう13年、わたしの死を待った。

入院しているひと。
ひとりぐらしをしているひと。
通信制大学に通うひと。
アルバイトをするひと。
恋人がいるひと。
旅行に行くひと。
生活保護のひと。

考えるな。でもひとつだけ、あなたは…。

わたしにあきらめてほしい。
わたしに受け入れてほしい。
出掛けたら、もうわたしをだれも見てくれなくなる。保護してくれなくなる。父に頼らざるを得なかったわたしたちは、すっかり条件付けされていて、目覚めているかぎり、父のあとを追っている。わたしが出掛けたら、わたしが眠ったら、わたしが食べたら、わたしが読んだら、わたしが目の前にいないと、母はわたしを忘れて、いないものになった。弟はひとりだちをした。そうせざるを得なかったからだろう。わたしは溶けた。溶けて、染み込んだ。わたしが、奪ったし、わたしが、奪われもした。殺しあっているのだ。ここはそういう場所なのだ。現実はそういう場所なのだ。

わたしは、猫や、自然を見ていたいのに、父は、レイプや、過労死を見たい。わたしはたぶん…。
今朝母が朝食にあんバタートーストを作ってくれた。これは理想の生活ではないか。わたしが望んでいた生活ではないか。
カウンターの向こうでベトナム人が死んでいる。

わたしは統合失調症ではない。
わたしは統合失調症ではない。
わたしは生きてはならない。
わたしは生きてはならない。

なぜ。
お金を稼いでいないから。
とうぜんではないか。
働かない人間を置いておける場所ではない、ここは。
ここは父と母の築いた場所で、わたしは含まれてはならなかった。
契約違反をしたのだ。
わたしは働いて、家を出て、あるいは家に寝に帰り、家族を養わねばならなかった、あるいは家族になにひとつ迷惑をかけてはならなかった。それなのに、わたしはその契約に離反した。離反し、埋もれた。
ここにしがみついている。
ほんとうはわかっているのか。出掛けて、もう両親の保護はあきらめて、ひとりぼっちで精神を抱えて、家庭からも社会からも、醜いものとして…

そこまでして生きたいのか。死が怖いか。しかしひとは死ぬぞ。

理想
・両親が、アルバイトをするわたしを認めて、励ましてくれる。力になってくれる。助けになってくれる。

なにひとつ、耐えられないのか。

暴れまわりそうな気持ちだ。不安だからだ。不安でたまらないからだ。胃もいっぱいで、それはわたしのせいなのだ。

ぜんぶわたしのせいなのだ。わたしが選び間違えたのだ。ずっとそうだ。給食を残さなくてすむようにはじめから少な目によそってもらうように言われた。でもわたしには自分が食べられる量がわからなかった。だからぜんぶおかずもご飯も果物もぜんぶ「少な目にしてください」と頭を下げて回った。
ぜんぶわたしのせいなのだ。
重すぎる値段の高い自転車をねだってしまった。しかも通学路が怖くてまともに乗られなかった。
私立高校に入学してしまった。毎月の学費、高い制服代、定期券までひつようだった。それだけじゃない、それだけじゃない。それなのにわたしは毎日母に連絡することができなくて毎日待ちぼうけをさせた。母は待たされた車の中で生理をむかえて、ズボンまで血が染みた。
ぜんぶわたしのせいなのだ。
仕事を辞めてしまった。首を吊りもせずに、トラックにもつっこまず、カーテンの向こうにも飛び出すことなく、仕事を罷辞めてしまった。ぜんぶわたしのせいなのだ。

あわてて自分の行動を取り消す。でも、手遅れだ。間に合うことはけしてない。

たったひとつだとわかっているではないか。
両親の求めるものはたったひとつ。
前職で正社員として働き、病名はなく、家庭の邪魔にならない、そんなわたしだ。

わたしがわたしに求めるものはたったひとつ。
わたしの生存だ。

わたしの生存は叶えられない。

どうしてだいじょうぶでいられなかったのだろう。だいじょうぶでいられるべきだったのに。

父がこき下ろしている。気象庁を。

家族に感謝をしたい。家族の幸せを願っている。恩返しがしたい。わたしが生きる理由はほかになにひとつもないのだから。
だから、自殺を願われて、わたしはその通りだとおもう。怖くて…
死ねない理由は恐怖だった。

たとえいま気に入られなくても、このさきも気に入ってはもらえなくても、ながく、ひろく、見て、家族の幸せになることがしたい。わたしに恐怖を乗り越えてほしい。それができないでいる。

わたしがわたしであるかぎり、このままだ。
わたしはわたしではないものにならなければならない。
できることがあったり、かんじなかったり、だいじょうぶなものに、ならなければならない。

わたしがわたしであってはならない。

たぶんね、わかっている。
わたしは自殺をするしかない。

他人になれたらよかった。わたしではないものがわたしであれば、父も母も、幸せだったかもしれない。
でもわたしだった。

心が死んでしまうことも、体が死んでしまうことも怖い。
なにが死ぬことも怖い。
わたしが死ぬことも、わたしではないものが死ぬことも、家族が死ぬことも。
でもわたしはいま家族を殺しているのだろう。
わたしが生きているかぎり、わたしであるかぎり、家族は救われなかった。

自分で選べ。靴下を自分で選べ。
そして間違えても自分ひとりで背負え。自分ひとりで償え。
独立しろ。
よりかかるな。
わたしから解放しろ。

そんな現実のなかで、わたしはもう「わたし」と言うことに疲れてしまう。

家族を愛しているから離れる。
そうできなければならなかった。

わたしはできなければなはなかった。
わたしはできなければならなかった。
できろ。
できろ。
他人と同じことができろ。
父が望むことができろ。
できないものは要らない。
金にならないものは要らない。
ここちよいものしか要らない。
自我は要らない。
わたしは要らない。
要らなかった。

要らない子でごめん。
って言えない。
どの口で言えばいいのだ。

だいじょうぶであればよかった。音楽も、絵も、表情も、言葉も、怖じ気づく心も、だいじょうぶであればよかった。だが、だいじょうぶではなかった。いったいなぜなのだろう。そう生まれてしまったからか。父がなにを言ってもわたしはだいじょうぶで、つよく、稼ぎ、生きて、恩を返さねばならなかったのに。
本気で自分を信じて、本気で現実を諦めれば、いまは理解されなくても、この先も受け入れられなくても、それが家族の幸せになると信じられれば、できたのか。

こんぐらがっている。
すこし眠い。

わたしは統合失調症ではない。

わたしが動くことが迷惑である。我慢してとは言えない。なぜならば未来に自信がなくて、責任も背負えるとはおもえないからだ。
わたしはなにもできないだろう。

わたしわたしって言うのもうやめてよ。
働いてよ。

ここでいて。
庇護下にいて。
正しいものに従って。
そうして。

正しいもの…

疲れてしまった。

わたしは一生両親の穀を潰して、まったくの価値をもたず、死ぬのか。

変われない。
変われる。
変わるしかない。
変われ。

わたしでは一切ないものになれ。

病弱児として、ゆるされることは、ない。

自殺してほしい。
わたしに自殺してほしい。

メイクをした。集会所へ選挙投票に行く。指名は父の指示通りに書く。比例は忘れてしまい、表にはたくさんの名前が連なっていて、どうすればよいのかわからない。とっさに、指名が所属する党を書く。そのあとの移動で、掲示板に4人のポスターがある。わたしが見ていた掲示板には2人しかポスターを張っていなくて、それは2番と3番だった。4番もいたらしい!

親戚のなかにいると、頭がぼーっとした。わたしという存在感がわたしのなかから抜け出して、なくなったようだった。ときおり、気持ちが驚いてしまうときにはまた戻ったが、それ以外は失われていて、それがたぶん心地よかった。同時に、「これじゃいけない」とかんじる。いまは永遠じゃないのだから。

今日にも、いまにも、死ぬかもしれないのだから、気負わないでいいよ。

自殺するなら、壊れるまえに、失われるまえに、見捨てられるまえにしたい。見捨てられる…。
破壊し、破壊されるまえに、自殺すること。

見捨てられることが怖いのだから。

呆けてしまって、することをして、生きたらいい。

今日事故死するかもしれない。
そのときに…。

わたしがあまり賢くないことは、つまり社会的に器用ではないことは、あまり気にならないかもしれない。
アルバイト中に、見果てぬ夢のなかばで、つまりなにかを勉強している途上で、死んでも、かまわない。就職すればよかったのに、とか、不毛なことはしなければよかったのに、とか、もっと笑顔で楽しめばよかったのに、とかは、気にならないかもしれない。
なぜだろうね。

わたしは定まらないことに不安を覚える。一生の生き方をわかっていたい。だが、定まった人生なんてあるのか。
自らが定めたものには、どこまでも疑いがつづく。選択がまちがっているかもしれない。たったひとりで、決めたことなのだ。わたしひとりの責任で、だれにも頼れない、だれからも責められるだろう。
話ができたらいいのに。
母と父と、話ができたらいいのに。
でもそれは無理なのだ。
なぜならば、わたしが自分の責任をひとりで負えないことを、両親は知っているから。わたしとはけして関わりたくないのだ。責任には関わりたくない。

親戚の中で…

でもわたしは幸運だろう。結婚が不可能な理由を生まれもっているし、高校も卒業しなかったし、見るからに狂ってもいる。だから、ふしぎなことはない。
いとこのお姉さんたちは苦しいかもしれない。学校を出て、就職して、人間関係もあって、旅行にも行って、外食もする、ブランドの鞄も持つ。わたしにあるような理由はない。それなのに、現実の方がたぶんちょっとした間違いを起こしていて、お姉さんたちは赤ちゃんをまだ産めていない。

去年か、そのまえか、わからなくなってしまったが、「わたしも結婚したいな」といちどだけ言ったことがある。かなりおかしくなっていたときだった。そのひと言をずいぶん後悔した。取り消したかった。いったいなにさまのつもりで望もうとしたのか。ひどすぎる。
でも、一生にいちどだけ、言えてよかったのかもしれない。

狂っている。

考えるな。考える。考えるな。

なにも難しいことはないではないか。わかっているはずだ。
わたしがすること。
・アルバイトをする
・前職に就職する
・狂っても、狂いきるまでやめない

そしてどうなるだろう。
父の言う通り、わたしはバイタリティを獲得して、恥ずかしくない人間になり、他人と遜色なくなる。
それが実現しなかった場合は、閉鎖病棟と世帯分離と見捨てられてダニとカビと狂人のたてる騒音のなかで、ひとりぽっち。

「わかった。もうよくやったよ。あと20年ここにいていい、いっしょに暮らそう。仕方ないじゃないか。ここにいていいし、自分にできることをしなさい。あとのことは、20年後に考えたらいいんだ。わたしたちはおまえを受け入れる。おまえの弱さを認める。仕方ないじゃないか。だいじょうぶ、もうやらなくていい。できることをしたらいい。支えるから。支えあって暮らそう。認めるし、愛するよ」

死にたくない。自殺したくない。怖くてたまらない。
働けない。働かなければならない。
自殺するか、働くか。どちらかしかない。

働けなかった。