つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月3日土曜日

中途覚醒を繰り返す。さまざまな夢を見る。
鼻がつまる。鼻水がある。ちかごろ。アレルギーだろうか。

昨日、出掛けた帰りに、母に、セブンイレブンのシュークリームをお願いした。カフェオレも買って、ふたりで食べた。とてもうれしかった。おいしい。うれしい。

声は、出ているつもりで話すが、話したら、声が出ていない。ふしぎだ。

憧れたこと。
通信制大学
・メイク
・服装
・ひとり暮らし
・アルバイト
・図書館に通う
ps4
・音楽を聴く
・絵を描く
・友だちと会う
・スポーツをする
・ランニング
・恋人がいる
・家族の役にたつ(料理など)
・独学
sns
・DS
・海外ドラマを観る
・映画館
・自転車
・ヘアカラー
・部屋のインテリア
・会話
・学費を稼ぐ
・生活費を稼ぐ
・文章を書く
・文章が読まれる
・歩く
・食べる
・飲む
・眠る
機内モード
wifi
・高校卒業
・資格
・診療情報管理
ほぼ日手帳
・ノート(ルーズリーフ)
岩波文庫
・かばん
・短歌と詩をつくる
・指輪
・パソコン眼鏡
・お遍路
・乗り物に乗る
・スクーリング
iPhone
・こたつ
ポメラ
・……

ばかみたいだ。

わたしも、「好き放題、やりたい放題して生きた」のだろうか。

すこし、精神がひんやりしている。低速になりはじめている。流れていく、たぶんわたしは、どこかに流れていく。わたしではないもののように。
本のことも、昨日までほど考えない。もういいような気がする。もうどうにもならないことのような気がする。
わたしはどうにもならないような気がする。
他人が、流れていくように、わたしであるというものが、わたしとは自覚していないまま、どこかに流れていく。

意欲がひんやりしている。焦燥が見当たらない。どこかに、置き去りにしてしまったのだろう。焦燥といっしょにわたしもいなくなった。
考えることも、決めることも、あんなにたいへんなのに、思考も選択も失うと、虚脱する。
虚脱している。
山を折り返していく。
流れていく。

わたしではない。
わたしであるものはなにもない。

気持ちが落ち込んでいるだけだよ。休んだら、また…また、なに?
わからない。形になる、とか。思考が戻る、とか。わからない。

虚脱している。思考していない。稀薄になっている。夢を見すぎたのかな。わからない。

人間はひとつの標的を排除する。排除したあとは、つぎの標的に向かう。繰り返される。

正常な人間であること以外の可能性はない。

自殺は口減らしだ。

わたしも、要らないものになってしまった。普通の人間であれば、金を稼いでいれば…許されただろう。
生きることを許されないこと。
自分の手で、自分の人生を握る覚悟のないものに、なにが言えるだろう。だが、自分ひとりで生きたと言うひとが…支えられていることには気づきにくい。支えられることの苦しみにも気づきにくい。楽に生きているひとはいない。

考え方がわからない。なぜだろう。簡単なはずだ。
・普通の人間になって金を稼ぐ。
・それができなければ首を吊って家族に恩返しをする。
ふたつのはずだ。

ちょっと苦しい。

父が、母に、「太っている」と言う。父が、弟のお湯の沸かし方を確認し、ため息をつく。父が、弟の荷物を見る。父が、姪に会いたがる。明日は帰省の日。わたしはいとこに会う元気がないとおもう。会いたくない。
わたしの身はどうなったのだろう。母はなにも言わない。なにも決まっていないのかもしれない。
今日はメイクをしていない。(メイクといってもファンデーションと眉毛とリップのことでしかない)していない。

しんどい。
心がしんどい。
生きたいという気持ちと、生きる苦しさが、折り合わない。

父は言う。努力が足りない。タフさが足りない。鍛えろ。変われ。できろ。

とくになにをしていなくても、なにをしても、体調がよいひとは、なにをしても、していなくても、体調を崩すひとを、「おれのような努力をしていないからだ」と、笑う。

それでも、努力が足りない。

わたしには努力が足りない。覚悟が足りない。自転車に乗って、ものを食べなければ、健康になれる。わたしが不健康なのは、わたしの甘えだ。

たったひとつのかけがえのないもののために生きている。

疲れてしまった。

わたしには努力が足りないのだった。

号泣である。文字通り、大泣きをする。夕方、膝をついて、身体を折って、両手に顔をうずめて、号泣。