つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月30日火曜日

暑い朝。弟とふたりでいる家に台湾人の強盗が現れて、強盗に財布の中身を説明しながら、後ろ手で「強盗」とメールを打とうと苦心する夢を見る。強盗は鋭利なシャープペンで武装している。もうひとつ夢を見る。よく覚えていない。学校のようだった、ひとりの男の子が限界を越えてしまい、わたしたちも死ぬことになる。破壊の夢。

今朝の朝食は、青年が熱中症で死んでいく様子を訊く。重度身体障害者が議員になり、失言をしたら断酒しなければならないという。楽しいねえ、楽しいねえ。
父を見ていればわかる。父の言う通りだ。男はみな、殺すものだ。

わたしは心がどうにかなりそうだから、ニュースを見たくない。毎朝、毎食、心がどうにかなりそうだ。現実との折り合いがつかない。わたしは狂うのも下手なのだろう。

心が他人にねじられて、悲鳴をあげている。怖くて、悲しくて、息がつまる。「努力は報われます」

わたしをねじりつぶすものに、ねじりつぶされようか。

身体が困っているだけであるという場合が往々にしてある。のどが乾いているとか、暑すぎるとか、寒すぎるとか、頭が妙だとか。そういうとき、わたしは身体の困難を直視するのを避けて、ほかのことに理由を見つけたり、その場でひとり回転するようなことをしている。これは、いままでそのままの身体感覚で在ることを認められなかったからだろう。そうであってはならなかった。わたしであってはならなかった。だから、わたしはわたしを否認し、問題を増やしたのかもしれない。
他人に素直にはなれないかもしれない。もう無理かもしれない。あといちどでも傷ついたら、わたしがなくなってしまうかもしれない。たぶん、自分で考えているよりは、わたしは強いのかもしれないが。
自分の中でだけは、自分を認められないだろうか。
他人は、「痛くてはいけない」と言う。
わたしはわたしに、「水を飲もうか」と言えるか。

常にわたしは間違いだった。わたしの存在は間違いだった。なぜならば努力が足りなかったからだ。
父はわたしを求めなかった。
同じ父はわたしを否認する。
ほんとうは、父は放任主義などではなかったのかもしれない。
父の愛することのできるものがほしかったのだ。
生徒のように愛することのできるものが。

愛は利用だ。

エリート思考なのは父だ。無関心な対象をこき下ろすことはない。
わたしは、無関心だろうか。

現実が決まると、思考は役に立たなくなる。思考は動力にならない。あるいはなるからこそ、切り捨てられていくのだろうか。

わたしはこれからなにを考えればいいのだろう。

なにを考えて生きたらよいのだろう。

家族をあきらめたときに、父が生徒を愛するように、わたしは家族を愛するのだろうか。生徒は父の給料になる。わたしは父の重荷だった。予算を食い潰すだけの、見返りのない、存在だった。

なにのことを考えていたのだろうか。
わからない。

読みはじめて、あまりにも近すぎる、とおもえて、怯んていたが、そこが本のすごいところだ、読んでいるうちに、自分とは切り離されているものが、もういちど切り離されていく。混合が解かれる。本があってよかった。こんなふうに気持ちを落ち着けられるから。文字がいま読めてよかった。

動揺するたびに、距離を考える。それでよいのだろう。

わたしはこれからどうなるのだろう。

頭がいつのまにか高速回転している。思考が回転している。止まらないといけない。

叫びそうになっている。

考えは必要ない。もう考えは必要ない。
頭が回転している。