つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月29日月曜日

昨夜は眠る。悪夢を見る。中学生くらいの子どもたちがいて、みな、はしゃいだりしている。だが、なにかがおかしい。人数がだんだんと減っていく。大きな男がいて…子どもが気づきはじめる。男がわたしたちを殺しているのだ。体調を崩す女の子がいる。それは殺される前触れだ。みなが怯えきっている。暗く、へどろがある、監禁されている。移動はするが、それさえも男の殺人計画の意図である。殺されないためにできることを考えながら、つぎは自分の番だと気づいていく。みな、わたしの顔見知りの同級生だ。高校の同級生も、中学生の年齢に巻き戻っている。みな考える。しかし、どこにも逃げられない。残虐な、暗い殺人が、ひとつひとつ、わたしたちの中で完了されていく。輪が縮まるように、わたしたちは人数を減ら
し…男だけが変わらない。男だけが大きく、無言で、さまざまな方法を使って、わたしたちを殺す。男はわたしたちに通じない。わたしたちは、殺されるものとして一体になっている。そのため、何度でも殺され、何度でもつぎに殺されるものになり、何度でも体調を崩し、何度でも考えている。

いまひつような経験をしているとおもう。
・ひとつのことを考えすぎている。自分の気をそらせなければならない。
・強迫行為がしんどくなる。やめたらまたしんどい。だが、たぶんやめる方向にむかう。

昨夜は眠ろうとして、中途覚醒後も眠ろうとして、考えた。とにかくべつのことを考えなさい。ほら本のこととか。考える。ほら物語のこととか。考える。考える。

今日は身体があまり動かない。力が入らないかんじがある。晴れている。
動かないから、動く。動けた。軽々とではないが、心配したほど、倒れそうではない。

緊張している。身体の感覚がなくなっている。腹部が存在していないみたいに、解離している。いけないとおもう。深呼吸する。お腹をさすってみる。
深呼吸は、だいじょうぶなときにすること。だいじょうぶなときというのは、緊張しすぎて、身体が消えて、あと1歩で崩れるぞ、というときだから。気持ちでは推し測れない。なぜならば気持ちに触れる勇気がないからだ。せめて身体は深呼吸をしよう。心は安らがせられはしない。

ひつようなものを買う。明確な目的があると、ひとつひとつ、進まなければならないということが、はっきりする。なにもしないでいる勇気はない。怖い。できないことも怖いし、やる気がないと判断されることも怖い。

昼頃、父が、「完璧にやる子だから」とわたしを評した。とっさに、ぞっとした。もしかしたら、両親はわたしのことを思い違っているのではないか。わたしはできるがやらないだけだ、とおもわれているのかもしれない。わたしは無表情で、冷静沈着で、パニックなど起こさず、慌てたことなど生まれてこのかたいちどもなく、なんでも粛々とこなせる、そうおもわれているのか。
本気でそうおもっているの?
こんなにもパニックを起こしているのに。
混乱しているから、固まって見えるだけなのに。

今日は朝から腰のあたりがへんなかんじがする。生理前だからだろうか。

今日はわたしの運命が決まる日。まだ決まっていない。手帳は買った。選べるほどは売り場になくて、80パーセントオフだった。

本を用意しなきゃ。
いや、用意はいらない。
でも読まなきゃ。読まなきゃわたし破損するよ。目をそらさなくちゃ。一時でいいのだから。

へんなの。
現実ってへんなの。

昨日はこんなふうにちらっとおもった。
「ああ、せっかくのこの機会に、わたしが元気だったらなあ」
でも、元気だったならば、やらなかっただろう。

失敗したら、失うものの大きさに…
仕事を失うだけじゃない。家族も失うことになる。いいわけはできない。わたしの責任なのだから。

アア。

ポーチ、ポーチ、ポーチ。

だいじょうぶ。焦らなくていいよ。今日もやったから。エクセルの本を読んだ。仕事の本を見に行った。だいじょうぶ。やれることをやれているよ。
だから、あまり根つめないでいいよ。

「できるとおもうよ」と母が言う。