つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月31日水曜日

悪夢を見る。地区のような場所に強制収容されている。女は男に犯される。わたしも例外ではない。それでも、わたしは父のもとへ戻ろうと画策している。男の中には、親切な顔見知りの男がふたりいて、「ばかなことはするな、おとなしくしていたほうがいい」と忠告の目をする。
男が運転する悪いパトカーがもうスピードで角を曲がる。何度もそのパトカーを見る。こちらが見つからないように努力しながら、わたしは移動していく。片手には通話機をもっていて、「110」と押している。
わたしは発覚し、レイプを受けたかどうか検査をされる。れいぷされ、妊娠していれば、合格だ。周りの女も心配して見ている。わたしは、どちらの結果が出るのかわからない。どちらにせよ、最大限の注意力と瞬発力と努力で、この地区の目をかいくぐり、父親を見つけるつもりだ。
別の場面になる。わたしは白い砂利の敷かれた空き地にいる。治療のひつようがあるメンバーになって、ここへきたのだった気がする。周りにも、ひとつずつ区画があり、ぽつぽつひとがいたり、いなかったりする。わたしの治療は終っている。身体のどこかが曲がったまま、麻痺している。親切な顔見知りの男たちが思い浮かぶ。彼らは、わたしが生き延びたことを知っているだろうか。奇跡的なことだった。
巡回がはじまる。「骨が見つかると証拠になる」という。わたしが振り返ると、空き地の砂利の上には、頭蓋骨の欠片と、小さな骨の欠片2本が転がっている。いま動いて隠すこともできない。見つからないことを祈るしかない。やがて巡回の一同がくる。ひとりは女で、わたしは手のひらを差し出す。両隣の区画の女も、同じようにしている。わたしは、手のひらの皮膚を検査用に削がれながら、「これで父さんを見つけてね」と冗談のように明るく言う。削ぐ女は、同情と心配と、自分がこちら側ではないことの安堵を覚えているようだ。わたしに相づちをうちながら、「おとなしくしていたほうがいい」と表情で伝える。

その夢のはじまりに、母との場面があった。母が、「これがWさんなのね」と言う。愕然とする。母はWさんを知っていたのか! テレビ画面の中には、中年から初老の歳の、背の高いイケメンの男がいる。二十歳の頃から変わらない童顔を思わせる。母は、「Wさんはいろいろな活動をしているから、顔を出さないといけなかったのね」としみじみと言う。見ると、彼の肩書きには、何々活動をしている旨がたくさん並んでいる。とくに虐待についての活動で、どうしても顔を出すことがひつようになったようだった

ごみ捨て係を解雇されたようだ。今朝はすでに父が遂行していた。

わたしはお金を稼がなければならないのだろう。

よく肝に命じておくこと。わたしは一生ここで暮らすこと。
だからこそ、解離することを覚えなさい。
愛しても、求めてはならない。それは愛とは言えない。

わたしは子どもだ。

朝食時のニュース映像は、段ボールに入った女の子が段ボールごと車に引き潰される。父は大喜びで、画面に食い入る。

(反対だとおもう。自殺は悪だから、善い安楽死を認めるべきなのではなくて、自殺も悪ではないものとして認めるべきではないか。NHKスクランブル放送にして、貧乏人は国営放送を見られなくするのではなくて、すべてのひとが無料で見られるべきではないかスクランブル放送については、新聞の購入に例えられていた。小学校の頃、クラスでわたしひとりだけが新聞をとっていなかった。これからはテレビではなくインターネットが主流になるのだろう。わたしはそこからもこぼれ落ちていく)

母に頼まれた洗濯物を干す。刺し子をする。本を読む。明日から働くようなことではないのかもしれず、やや気が落ち着いたのかもしれない。あるいは習慣に戻ったのだろうか。わからない。
昨日から腰がなかなか痛む。とくに午後からは痛む。腰が冷えているのか、姿勢がよくないものなのか。たちっぱなしで、1時間本を読むことは訓練だが、腰は疲れるのかもしれない。
家族だけではなく、わたしもわたしに、「変われ」と要請することしかしてこなかった。わたしであることを受容する方法を知らない。心の片隅では、努力が足りない自分を罵倒している。もう片隅では、努力が物言わない現実を…なにをどう考えても、自分を守ることができない。わたしはこれまでも、自己弁護ができなかった。言い訳ができなかった。自分とは関係がないことでも、非を認める。心が広いからではない。頭が追い付かないからだ。
わたしがわたしを守れるようになることはあるだろうか。認められるだろうか。想像もつかない。
わたしではないものに変わることしか、思いつかない。

ここ数日、混乱から身を引き離して、本をまた読めるようになったことが、とてもうれしい。自分にすこし自信がついた気がする。けれど、実際に働きはじめるとこうはいかないのだろう。なんとか読みたい。読むことでしかわたしはまともにならないから。音楽や、カッティングや、過食では、べつの悪いわたしで、ひととき塗りつぶすだけのことだ。そうではなくて、毅然として、解離することがひつようだとおもう。
混乱にのまれないこと。わたしが回転したら、いびつになる。いびつなものは、他人を傷つける。回転しないこと。
字が読めなくなるかな。なるだろうな。困ったなあ。
恐怖。

昨夜眠る前に、「ぜんぶ、自分のせいだ」とおもい、恐怖で身がすくんだ。早くアルバイトをはじめないからだ。
これは最後の機会。失敗したら、失うものが多すぎる。いのちと天秤にかけられるものが、失われることになる。

おおげさに考えすぎないでいいさ。
わたしのことを1人前だなんて、きっと、みなおもっていないさ。ただ、ちょっと忍耐とか、努力が足りないみたいだから、そのへんをがんばることができる人間に、変わったほうがいいよ、ということさ。
わたしのことを…とても具合のよくない人間だとは、みなはおもっていない。おそらくわたし自身がかんじているようには、捉えていない。けれども、通常の人間だとも、100パーセントでは考えていないだろう。
だれの心も、割合だ。正反対のおもいが同居している。片方だけでは、どんな感情も、存在することはできない。
家族も不安だとおもう。すこしだけ、かもしれないけれど。心の中の、「やれるだろう」とおもう場所の隣に、「やれないこともありうる」があって、せめぎあっている。波みたいに、ときには、満ち引きして。

ふたりしかいない、幼馴染みのひとりが死んだことを聞く。とつぜん聞かされたこと、精神病とアル中で死んだこと、親が手続きに追われていること、などを母が話す。父も動揺している。父は、「親の責任だった」と言い、母は、「それはちがう」と言う。ふたりとも動揺している。わたしはポテトサラダを混ぜる。混ぜすぎて、ポテトの形はとっくになくなっても、まだ混ぜる。
わたしは動揺していないように見えただろうか。
ふたりしかいない、幼馴染みのひとりが孤独死した。わたしより、ふたつ、年下だった。

自分を守り、自分を大切にする、という、人間の生存に欠かせない能力を育めずに生きる人間がいる。持って生まれた芽を、焼きつぶされて、もういちど起きあがる方法は、どこに見つけられるだろうか。自分の中か。焼けただれた中か。
隣にいる、たったひとつの拠り所とするものに、否定されることに、慣れてしまって、「そんなことしないで」とはもう言えない。言うことを忘れてしまっているから。愛するひとから受けた傷よりも、より大きな傷を自分で自分に与えれば、もっとも憎いものは自分になる。愛するひとを愛したままでいられる。

わたしたち、話し合えたら、どんな話をしただろう。
わたしは、よく、あなたに、心の中で話しかけていた。
あなたは、わたしを思い浮かべたことはあっただろうか。

失敗を怒鳴られたあと、「怒られちゃった」と笑っていた、あの日、わたしはうらやましがった。そのひと言でも、口にできて、声に出せて、いいなあ、って、心底うらやましかった。
だけど、いまならわかる。話すということは、試みるということだ。危険をおかすということだ。あきらめていないということだ。
わたしは逃げつづけている。たぶん、自分を守るために。
逃げられなかった、試みて、命はなくなった。

都会なら、もっとたくさんの病院があって、さまざまな精神療法も、医療従事者も、生き方もあっただろうか。隠されて、つらかった?

ひとつの支え手が見つかることで、顔をあげられるひともいれば、だれがどれほど手を尽くしても、捉えられないひともいる。

現実は複雑だ。父の言うようではないし、母に見えているようでも、わたしが考えるようでもないだろう。
その複雑なものの中で、ひとりの人間が、うまれて、生きて、死んだ。

気持ちが動揺しすぎている。
こんなに晴れているのに。

胸がへんなかんじ。

よそ見できない。

いま離れたら、わたしが2度と戻らない気がする。

けれど、時間は止まらない。
だから、わたしは、動いていく。