つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

8月15日木曜日0

午前4時停電する。わたしは役に立ちたがってだめ。そのままに放っておけなくてだめ。父の声が聞こえたから、起きたのだとおもって、冷蔵庫を見に行く。「停電だから冷蔵庫はもうだめだ(おまえは引っ込んでいろ)」と父に言われる。ふぃ。

真夜中から暴風。屋根が飛んでいないはずない。

葉が揺れる音が近づいてくる。そしてわたしたちが揺れはじめる。大きな音が聞こえるたびに、「これでわたしたちもうオシマイ」とおもう。
恐怖と畏怖がまざりあう。

灯りがなくて本が読めない。

お盆でよかった。はぴはここにいるから、だいじょうぶ、よかった、ひとりぽっちじゃない、雨に濡れていない。

冷蔵庫腐って冷凍庫腐る日。

午前2時から目を覚ましては眠る、繰り返している。そんなにはしんどくはない。
音は怖いけれど、澄んでいる。人間の意思が介入しないものの、つよさ。

炎が揺れていた。わたしが朝食の皿を洗っているあいだ。ろうそくのうえで、炎は揺れて、わたしは目がくらくらとした。

雨戸をほんのすこしだけ開けて、外の光を取り込む。

「いっしょうけんめい生きた」「できることぜんぶした」

「なしとげませんでした」

生きて死んでいくってどんな気分だろう。

窓の外が見られないと落ち着かない。焦り、圧迫感…

腕を殴る殴る殴る殴る。医者の娘で自分も医者で脳の中に声が聞こえてもやもや病で何度も開頭手術を受けてそのたびに機能が低下していきいまでは卵の売り場がわからず一人息子か案内している。それからつぎは半身麻痺で鏡のボックスを作り右手を映して左手が動くようになった。
どこにも居場所がない。
父の言葉に父の姿勢に父の思考に全面的に同意しひれ伏しあがめ己の愚かさと浪費を悔い悔い悔い悔わねばらない。
父に付き従わなければ居られない。ここに居られない。

音楽は麻薬だ。映像は麻薬だ。
わたしはなにひとつ捉えのがしたくない。適当に感じたり、感じなかったふりをしたり、なにが起きているのか、起きていないのか、理由はあるのか、ないのか、どれほど複雑なのか、単純なのか、知りたい。かんじるすべてを取りのがさずにかんじたい。わからないすべてを見つづけたい。わたしは「あとで」とか「適当な具合に」とか「うわべだけ」とか「なんとなく」ということをしたくない、できない。わたしはかならず捉えつづけたい。やめたくない。それが、わたしが生きるということだろう。0