つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

7月25日木曜日

悪夢を見続ける。
6時半に目が覚めて、父が玄関をなんども出入りしている。飛び起きて、窓からしばらく父を見て、飛んで部屋を出て、ごみを捨てにいく。だから、朝起きて部屋を出るまでにしていることをすべてしなかった。
朝食が冷めている。
みな自分のペースで動いている。
わたしはランダムな動きや、不規則な時間が苦手だから、戸惑ってしまった。やはり朝はだれよりも早く起きて、今日のように慌てて、戸惑い、混乱しないように、しなければならないのだろうか。

手が洗えない。

昨日梅雨があける。空が晴れて、室温が30度を越している。居間ではクーラーをつけていない。母が、「はぴのようだ」と言って床に伸びている。わたしが働いていたら、クーラーをつけられただろうか。身が縮こまり、しかし、動きは早まる。こうして、わたしの状態は、わたしの手を脱する。
午後、両親と出掛ける。途中の道路で、前方の車が止まり、父が罵声をあげる。「ほらまた止まったぞ!」前方の車は大きく右にハンドルを切る。避けられた道路の上には、亀がいた。
「日本亀だ、どこから来たのかしら」
「だれかがほり捨てたんだろう。どうせ捨てたのだ」
「水脈をたどっているのかもしれない。昔、あんな亀がとつぜん現れて、水路へ帰しに行ったことがあったね」
「いったいいつの話をしているんだ」
わたしはひと言もものを言わなかったけれど、車内が沸き立って、楽しかった。
わたしもなにか言えるようになるだろうか。

帰り道、できるようになったことがまたできなくなっても、それからまたできるようになることもある、だから、ひととびに悲しまないで、そのときはなんとかやりすごせたらいい。助けてもらえることは、助けてもらってもいいのかもしれない。感謝して、身を縮めて。そうして、もうだめだ、こんなふうにだめだ、一生こうだめなんだ、とおもいながらも、なんとかつづけていけられれば、状況は変わるのかもしれない。わたしは変わるのかもしれない。と考えた。
広い駐車場のはしっこで降りても、パニックにならなかった。

昨日見た求人が気になっている。

息が苦しい。