つよく生きているか

2019〜2020のくらむせかい,くらむの日記

来春まで

家族といるときにも、職場でも、ひとりのときにも、気持ちに余裕があること。
前にしたことがあることならばできるかなとおもったけれど、パートはクリニックや歯科や薬局で、病院の正社員ができるほどしなやかではないだろう。ほんのすこし予定ではないことがあっただけで、破綻する。想像してみて。
耐えられるとおもうのは過信だ。
できなくてもできねばならない。完全に耐えて、生きたい。だがそれは努力の域をおそらく越えている。認めるのは怖いが、わたしはたどり着けないだろう。
3食ご飯を食べること。体力をいまよりもつけること。規則正しく生活をする。きちんと眠る。努力するために、生活を変えないことだ。
これからは不規則な現実が増えてくるだろう。たとえば痔をわずらう父の代わりにごみ出しを担当するというような。そういったときに、対応できる余裕をもつこと。対応する自分を認めること。現実を待ち構える必要はないが、混乱しないで対応できるくらいの余裕をもっていたほうがいい。
家族を養おうとおもうな。自立しようとももう考えなくていい。ここで生きていくことを、身体の芯から理解したい。
地獄の職場ばかりではないよ。いちどに見つけられなくても、身のおきどころがある職場はきっとある。ひとが合えば、安心ができれば、きっと保たれる。無理をしてぎりぎりのことをしようとはしないで、体力の範囲内、緊張の範囲内で、働こう。いまは閾値が低いけれど、感覚は変わるものだ。やれそうだといずれはおもえる。
耐えられないことの代わりにほかのものに耐えようとするのはやめて、とにかく安らかに目を開こう。努力はやめる。いま必要なのはリラックスすることだ。身体を伸ばす。眠る。
ゴールはミラクルクエッション。アルバイトに行くこと、心が安らかであること、自分を受け入れていること、ちょっとした役に立てること、自分の時間をもつこと。なげやりにならないこと。地獄を生きられるタフな自分に変わる努力をしないこと。それはあきらめて、ミラクルクエッションを叶えること。

だから、今日でいったん、終りにしよう。
医療事務の勉強と、就活と、簿記と診療管理資格の勉強と、通信制大学の勉強と、3年つづけるパートの仕事と、早朝覚醒は、終りだ

明日からは、来春のアルバイト開始にむかって、ぽつぽつ、生きよう。アルバイトは地獄の職場や、ペットボトルケースの運搬や、清掃や、女の子が走り回ったり、青いまぶたの先輩が幅をきかせているような場所ではなくて、死ぬ気でがんばって、心身喪失させて、努力してできるようなアルバイトは選ばないこと。よく下見をして、身体の反応を見る。天国はないかもしれないが、妥協はしない。

わたしであることにわたしが耐えよう。
家族には謝ろう。
立派な社会人になれないその代わりに、気持ちに余裕のある、半分だけ解離した、しかし地に足をつけたものになろう。
日常を優しくありつづけられるように生きる。